ラスト・コミュニケーション

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PC遺言ソフト「僕が死んだら…」のウィットとその真価とは?R25より)


人生もほぼ中盤を過ぎてしまった私だが、時に自分の「死」ということを考える機会も増えてきたようだ。

幸運なことに現在は体に悪いところはない。しかし昨年の大厄を難なくクリアできたとまだまだ喜んでばかりもいられない。今年は後厄だ。語呂合わせでも男性の42歳は「死に」とウィキペディアにもあるくらいだから予断を許さない期間にいることに間違いはない。

もし自らの死期に際して、真っ先に考えてしまうことがあるとすれば、やはり身辺整理ではないだろうか。人間生きていると、秘密というものが意識的ではないにしろ少しずつ積もり積もってくるものだ。自分でないと処理できない問題もある。そんな問題をクリアしておかないと、気になって気になっておちおち死んでもいられない。成仏できずに化けて出られればラッキー!くらいの気概を持って死ぬのもポジティブな最期として華々しさはあるが、元気な死に様は若干見苦しい。

その積もり積もっていく秘密の一つがパソコンだ。すぐ積もる。ちょっと気を許した途端にすぐ積もる。生きている時には誰にも見せられないようなオッパイファイルがいっぱいだ。それに加えメールやここobsqrの原稿なんかも入っていたりするから始末が悪い。

そんなあなたと私にとっての朗報がPC遺言ソフト「僕が死んだら…」だ。

簡単な設定だけで、ユーザーが不慮の事故や病気で死んだ時、デスクトップに「僕が死んだら…」というアイコンが表示される。それに気づいた家族や友人がファイルを開くと生前に用意していた遺言メッセージが表示されるという仕組みだ。PCがどうやってユーザーの死を認識するのか詳細は分からないが、驚くべきはそれだけではない。なんと遺言メッセージが表示されると同時に、遺族に気づかれないようにオッパイファイルやobsqrの原稿等の見られたくないファイルの削除が実行されるという。

自らの死に際してまで、パソコンのことを気にかけねばならないとは、面倒な世界になってしまった感じはするが、逆に言うとそれほどまでにパソコンとは自分自身の分身的な存在となっているわけだ。そう考えてみると、自分の死後遺族がパソコンを立ち上げて遺言ソフトをクリックした時に人知れず消えていくファイルこそ真の自分の有り様ではないだろうか。死んだ後まで自分自身を着飾る必要はない。遺族がパソコンを立ち上げた後、オッパイドーンの壁紙とともに遺言が流れるソフトこそ、私にとって最期を飾るに相応しいと言える。人生最後のコミュニケーションはありのままの姿でいたい。

ついでに私の「棺の中に入れてほしいものランキング」第一位は、なにものでもなく、愛用しているこのiBookだ。壁紙にオッパイドーンを表示したまま遺体の頭上に置いてもらいたい。

何故かって? 文字通り昇天するためです。



※「棺の中に入れてほしいものランキング」
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