仏門ロックス
ロックで説こう仏の教え 住職夫婦がデュオ(asahi.comより)
島根県出雲市の浄土真宗、西楽寺の住職が得意なギターを使って仏の教えを説くという活動を行っている。それが藤原眞琴さんと陽子さん夫妻。この眞琴さん、若い頃は当然、家業である仏門に興味を示すことなくビートルズやボブ・ディランに傾倒する。親への反発も手伝って東京の美術学校でファッションを学ぶも、先代である父親の死をきっかけにお寺を継いだという。
よくある話ではある。しかし眞琴さんの音楽に対する情熱は変わらなかった。とあるお寺のイベントで親鸞聖人らの教えに曲をつけ歌ったところこれが好評で自身のお寺の本堂は元より、地元の中学校や婦人会での集まりなどでそのテクニックと説法を披露しているというから釈迦もビックリだ。曲名も「世のなか安穏なれ」「白骨の御文章」「礼賛文」など仏教ならではのエスプリに溢れ、時に難解な仏教というものを私たちの日常の目線まで引き下ろして聴かせてくれるそうだ。
その昔、仏教とは人々の心のより所であると同時に生活の規範でもあった。教えを守り、遂行することで安らぎを得、日々生きていることを楽しむという基本的な思想だ。その仏教の中枢でもあるお寺という存在は、まさに情報の発信源であり、人々が集うコミュニケーションの場でもあった。
以前、大分県の国東半島を旅した時に様々な仏像を見て廻ったことがある。身が引き締まるような荘厳なものから、思わず吹き出してしまいそうなファニーなものまで、何もみうらじゅんでなくとも十分に楽しめる内容だった。その時の感想を某コラムに執筆したことがあるのだが、私は仏像を当時のエンターテインメントと位置づけた。情報に覆い尽くされた現代を生きる私たちが見て楽しいものが、情報量も乏しい当時を生きる人々にとって面白くないわけがない。お寺に足を運ぶ人々の感嘆の声が容易に想像できるというものだ。人々を楽しませながら教えを説いていくという宗教の手法は、古今東西変わりはない。
人々の生活のすぐ隣にあった仏教というものが、時代を経るにつれ、高尚で取っつきにくいものへと形を変え、現在すでに人々から離れていこうとしている。信仰心を持てと言っているわけではない。そんな私も特別な信仰心はない。しかし仏教に限らず最低限宗教を理解するということは、生きるという「自然さ」を学ぶことにおいて重要なことだと思う。今の世の中、あまりに生きることに対して「不自然さ」を感じている人が多いということは、毎日のニュースを見ても明らかだろう。
ロックを介して仏教を伝える。まるで背反する2つの媒体を融合させる藤原眞琴さんと陽子さん夫妻のバンド「西楽寺二重奏」。形こそ別物であるが、その性質は決して異質ではない。実際音を聴いたわけではないが、おそらくとても自然なものだろう。
もし来てもらえるのであれば、私の葬儀の時には是非、お経を「演奏」していただきたい。
島根県出雲市の浄土真宗、西楽寺の住職が得意なギターを使って仏の教えを説くという活動を行っている。それが藤原眞琴さんと陽子さん夫妻。この眞琴さん、若い頃は当然、家業である仏門に興味を示すことなくビートルズやボブ・ディランに傾倒する。親への反発も手伝って東京の美術学校でファッションを学ぶも、先代である父親の死をきっかけにお寺を継いだという。
よくある話ではある。しかし眞琴さんの音楽に対する情熱は変わらなかった。とあるお寺のイベントで親鸞聖人らの教えに曲をつけ歌ったところこれが好評で自身のお寺の本堂は元より、地元の中学校や婦人会での集まりなどでそのテクニックと説法を披露しているというから釈迦もビックリだ。曲名も「世のなか安穏なれ」「白骨の御文章」「礼賛文」など仏教ならではのエスプリに溢れ、時に難解な仏教というものを私たちの日常の目線まで引き下ろして聴かせてくれるそうだ。
その昔、仏教とは人々の心のより所であると同時に生活の規範でもあった。教えを守り、遂行することで安らぎを得、日々生きていることを楽しむという基本的な思想だ。その仏教の中枢でもあるお寺という存在は、まさに情報の発信源であり、人々が集うコミュニケーションの場でもあった。
以前、大分県の国東半島を旅した時に様々な仏像を見て廻ったことがある。身が引き締まるような荘厳なものから、思わず吹き出してしまいそうなファニーなものまで、何もみうらじゅんでなくとも十分に楽しめる内容だった。その時の感想を某コラムに執筆したことがあるのだが、私は仏像を当時のエンターテインメントと位置づけた。情報に覆い尽くされた現代を生きる私たちが見て楽しいものが、情報量も乏しい当時を生きる人々にとって面白くないわけがない。お寺に足を運ぶ人々の感嘆の声が容易に想像できるというものだ。人々を楽しませながら教えを説いていくという宗教の手法は、古今東西変わりはない。
人々の生活のすぐ隣にあった仏教というものが、時代を経るにつれ、高尚で取っつきにくいものへと形を変え、現在すでに人々から離れていこうとしている。信仰心を持てと言っているわけではない。そんな私も特別な信仰心はない。しかし仏教に限らず最低限宗教を理解するということは、生きるという「自然さ」を学ぶことにおいて重要なことだと思う。今の世の中、あまりに生きることに対して「不自然さ」を感じている人が多いということは、毎日のニュースを見ても明らかだろう。
ロックを介して仏教を伝える。まるで背反する2つの媒体を融合させる藤原眞琴さんと陽子さん夫妻のバンド「西楽寺二重奏」。形こそ別物であるが、その性質は決して異質ではない。実際音を聴いたわけではないが、おそらくとても自然なものだろう。
もし来てもらえるのであれば、私の葬儀の時には是非、お経を「演奏」していただきたい。





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