奴らのために死ぬな

自殺

いまだに自殺者吸引する 富士の樹海で起きていること
J-CASTニュースより)

ネット自殺予告、121人中72人保護 警察と業者連携
出産・育児関連情報blogによるasahi.comの記事)

自殺を考える時は、たいてい一人で考えるものだ。
一人での考えごとは、極端な答えが出ることも多い。
考え続けるのが苦痛なので、皆結論を急ぐ。
そしていそいそと富士の樹海に向かうわけだ。

あの場所は、決して自殺に向いているわけではない。
迷い込んだら出られない、というのも俗説である。
観光地でもあるので他者に発見されてしまう可能性も高い。
それでも人々が樹海に向かうのは。
やはり「見つけてほしい」という気持ちが根底にあるのではないか。
最後の最後まで、生きていたいのだ。

我が国では1998年から毎年3万人が自らの命を絶っている(wikipedia:自殺)。
ちょっと前までは交通事故による死者が1万人を超えていたことから
交通戦争」などと呼ばれていたが、今やそれを遥かに凌駕する数の自殺者を、
日本は量産している。
だが“自殺戦争”などという言葉はない。
自殺という行為が、個人的なことだと考えられているためだろう。

違う。
社会的な行為なのだ。
まずはそこの認識を改めなければ先に進まない。

自殺へのスタートラインとなるのは、孤独、だと思う。
孤独と絶望。

どちらの要素も、抜け出すには他人の力が必要になる。

上記二つの記事でもわかるように、自殺志願者の多くは、説得に応じる。
つまり、聞く耳を持っている。
どうしても死ぬんだ、俺は死ななきゃならないんだ、俺が死ななきゃ
誰が死ぬんだ死なせてくれと頑固に言い張る人はそう多くない。
そういう人にはむしろ望み通り死なせてあげた方がいいかもしれない。

誰もが助けを求めていて、その助けを得られずにいる。
その状況を、減らすより他にない。
我々は、かかわり合う生き物だ。
たとえおせっかいだと言われようとも。
土足で踏み込まねば、間に合わないこともある。
プライヴァシーという言葉は、社会とのコミットメントが確立している
場合にのみ、機能する。プライヴァシーは、いとも簡単に人を欺く。

自殺は、最大の抗議行動である。
社会に対しての捨て身のアンチテーゼ。

その命を賭してまで、訴えるほどの価値はあるのか。この現代に。


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