マッシュアップへまっしぐら
近年WEB界隈ではマッシュアップ(mush-up)という言葉がひとつのキーワードとなっているようだ。
要するに複数の素材(あるいは技術・手法など)を使ってひとつの作品や
サービス等を提供する形態のこと。元は音楽用語だが、現在はITの分野にも
転用されている。いわゆるweb2.0と呼ばれるものはそのほとんどが
マッシュアップの手法に基づいている。
mushはお粥のようなどろどろしたもの、はっきりしないものという意味。
転じて女々しいもの、涙っぽい感傷や優柔不断な態度などを指すこともある
(Yahoo!辞書より)。
違う素材をどろどろの状態にまで刻み、すり潰し、混ぜ合わせて新しい料理を
作り上げる。現代における創造行為は、そういった作業が主流であるという
ことだろう。ゼロからオリジナルをつくるよりは簡単で、すぐに使えるサービス
に発展させやすい。組み合わせるセンスと、まとめるためのプロデュース力が
求められる。
ここobsqrの記事執筆の手法は、マッシュアップに近い。
どこからかネタ(ニュースなどの話題)を拾ってきて、それを元に好き勝手に
持論を展開する。大喜利のようなものだ。
ネタはひとつであることが多いのでマッシュアップよりリミックス
という言葉の方がふさわしいかもしれない。
場合によってはネタにはほとんど触れず、ひたすら脱線することもある。
それが楽しい。
とはいえ、記事を書く動機の大部分はネタ元に依存している。
一次情報提供者へのコンプレックスは常につきまとう(厳密にはネタ元自体も
一次情報提供者とは限らないのがインターネットの面白いところなのだが)。
優れたお題を提供されてこそ、存分にボケられるのだ。
選ぶということが現代では主要な創造行為である、ということについては
以前に書いたことがある。
我々は自らのセンスに基づいてネタを選び、自らのフィルターを通して
事象を解釈し、再構成し、結論をひねり出す。多少強引にでも。
そうやってできあがった記事は立派な「一次情報」である、と信じている。
どこにもない文章。我々にしか書けない内容。
それこそがまさにオリジナル。
だが、時にはその信念も揺らぐことはある。
私はもともと「オリジナル信仰」が強い。
オリジナル原理主義者といってもいい。
最初にアイデアを出した者が最も尊い、という考え方に固執する。
それはオリジナルを生み出すことの難しさを知っているからだと思う。
しかしたとえば、ザ・ビートルズ。
彼らがやってきたことは、すなわちマッシュアップである。
50年代のロックンロール、ソウル、ブルーズ、カントリーミュージックから
はてはミュージカルナンバーに至るまで、使えそうなものは何でも取り入れて
すり潰し、混ぜ合わせた。
結果的に出来上がったものは、他の誰のものでもない彼らの音楽。
素材さえ判然としない濃厚なスープ。
彼らはマッシュアップを極め、オリジナルにたどり着いた。
私にしか発信し得ない一次情報とは、何か。
私自身だ。
私がこれまで経験してきたこと。
見てきたもの。聞いてきたこと。出会った人々。そして感じたこと。
これらは紛れもなく私しか知り得ない情報である。
そこに価値がある。
他の人の役に立つかどうかはわからないが。
私はあなたではない、ということに価値がある。
我々には、大手メディアやニュースサイトのような取材力も機動力も資金もない。
足を使って情報を拾い集めることもしない。
だが我々は、我々の選択眼と、フィルターの精度を信じる。
その昔、フリッパーズ・ギターというグループがあった。
彼らが『ヘッド博士の世界塔』(1991)というアルバムを発表した際、当時は
まだ一般的ではなかったサンプリングの手法を大胆に導入した内容に対する
批判の声(バンドのくせに自分たちの手で演奏していないのはなぜか、という
意見)を受けて、彼らが放った言葉(雑誌のインタビュー記事だったと思う)が
今も印象に残っている。
要するに複数の素材(あるいは技術・手法など)を使ってひとつの作品や
サービス等を提供する形態のこと。元は音楽用語だが、現在はITの分野にも
転用されている。いわゆるweb2.0と呼ばれるものはそのほとんどが
マッシュアップの手法に基づいている。
mushはお粥のようなどろどろしたもの、はっきりしないものという意味。
転じて女々しいもの、涙っぽい感傷や優柔不断な態度などを指すこともある
(Yahoo!辞書より)。
違う素材をどろどろの状態にまで刻み、すり潰し、混ぜ合わせて新しい料理を
作り上げる。現代における創造行為は、そういった作業が主流であるという
ことだろう。ゼロからオリジナルをつくるよりは簡単で、すぐに使えるサービス
に発展させやすい。組み合わせるセンスと、まとめるためのプロデュース力が
求められる。
ここobsqrの記事執筆の手法は、マッシュアップに近い。
どこからかネタ(ニュースなどの話題)を拾ってきて、それを元に好き勝手に
持論を展開する。大喜利のようなものだ。
ネタはひとつであることが多いのでマッシュアップよりリミックス
という言葉の方がふさわしいかもしれない。
場合によってはネタにはほとんど触れず、ひたすら脱線することもある。
それが楽しい。
とはいえ、記事を書く動機の大部分はネタ元に依存している。
一次情報提供者へのコンプレックスは常につきまとう(厳密にはネタ元自体も
一次情報提供者とは限らないのがインターネットの面白いところなのだが)。
優れたお題を提供されてこそ、存分にボケられるのだ。
選ぶということが現代では主要な創造行為である、ということについては
以前に書いたことがある。
我々は自らのセンスに基づいてネタを選び、自らのフィルターを通して
事象を解釈し、再構成し、結論をひねり出す。多少強引にでも。
そうやってできあがった記事は立派な「一次情報」である、と信じている。
どこにもない文章。我々にしか書けない内容。
それこそがまさにオリジナル。
だが、時にはその信念も揺らぐことはある。
私はもともと「オリジナル信仰」が強い。
オリジナル原理主義者といってもいい。
最初にアイデアを出した者が最も尊い、という考え方に固執する。
それはオリジナルを生み出すことの難しさを知っているからだと思う。
しかしたとえば、ザ・ビートルズ。
彼らがやってきたことは、すなわちマッシュアップである。
50年代のロックンロール、ソウル、ブルーズ、カントリーミュージックから
はてはミュージカルナンバーに至るまで、使えそうなものは何でも取り入れて
すり潰し、混ぜ合わせた。
結果的に出来上がったものは、他の誰のものでもない彼らの音楽。
素材さえ判然としない濃厚なスープ。
彼らはマッシュアップを極め、オリジナルにたどり着いた。
私にしか発信し得ない一次情報とは、何か。
私自身だ。
私がこれまで経験してきたこと。
見てきたもの。聞いてきたこと。出会った人々。そして感じたこと。
これらは紛れもなく私しか知り得ない情報である。
そこに価値がある。
他の人の役に立つかどうかはわからないが。
私はあなたではない、ということに価値がある。
我々には、大手メディアやニュースサイトのような取材力も機動力も資金もない。
足を使って情報を拾い集めることもしない。
だが我々は、我々の選択眼と、フィルターの精度を信じる。
その昔、フリッパーズ・ギターというグループがあった。
彼らが『ヘッド博士の世界塔』(1991)というアルバムを発表した際、当時は
まだ一般的ではなかったサンプリングの手法を大胆に導入した内容に対する
批判の声(バンドのくせに自分たちの手で演奏していないのはなぜか、という
意見)を受けて、彼らが放った言葉(雑誌のインタビュー記事だったと思う)が
今も印象に残っている。
アンリ・マティスの切り絵があるでしょう。
マティスは自分で色を塗ったりしてませんよね。
でも切り絵をつくる時の彼の手は、ちゃんと汚れているんですよ。







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