日本語の私と英語のアタシ

ジェスチュア

バイリンガルは話す言語によって別人に?米研究AFPBB Newsより)

2つの言語や文化の下で成長した人々は、その時話している言語によってそれぞれ異なる行動や性格を無意識に選んでいることが多いという研究結果が、26日発行の米学術誌「Journal of Consumer Research」の2008年8月号に掲載された。

まだ7月に入ったばかりだというのにもう8月号が出ているのか。さすが学術
分野はサイクルが早いなあ。ところで月刊誌はなぜに発行月よりひと月早い標記を
することが多いのだろう。出版社の単なる慣習だろうか。という話は置いといて。

複数の言語を操る人は使う言葉によって「人格」そのものも本当に変えている、
のかもしれない。そちらの方が何かと都合が良いと思う。
英語を話すための人格、スペイン語のときの人格、タガログ語を使う人格。
とりわけ後天的に外国語を習得した人は、脳の中に意図的にパーティションを
切ってヴァーチャルな別人格に処理を任せるぐらいのことでもしなければ、
スムーズなコミュニケーションは到底のぞめない。

マルチリンガルになれるかどうかには、ある種の“資質”が必要なのかもしれない。
アメリカ人になりきれるかどうか。ロシア人に。イタリア人に。バヌアツ人に。
それぞれにおいて、より細かい人格設定ができる「想像力」が求められる。
つまり他言語習得の鍵は、イマジネーションである、と。
なにがしかの役者心。それが外国語を覚える大きな助けになると思う。

ちなみにオスマン・サンコンの使う日本語がいわゆるオンナ言葉であったり
時おり女性的な仕草をする理由は日本人の奥さんから日本語を教わったため、と
言われている。
彼は言葉のみならず、妻そのものの人格(の大部分)をコピーしたわけだ。
言葉は、教わった相手からの影響を大きく受ける。
特に環境が限定的な場合は、その人を「すべての」手本とすることになる。
もし現在あなたが英語をしゃべれないとすればその原因は、これまであなたが
教えを受けてきた英語担当教師による「内面的介入」をあなた自身が無意識に
拒絶したためである。言語は身近な人・心を許せる親密な仲の人に教わるのが
好ましい。コミュニケーションの道具を授かるのだから。

使う言語によって人格をコロコロと変えることが一概に悪いとは私には思えない。
そもそも人格とは何なのか。
我々は状況に応じて、自意識をコントロールする。その多くは無意識に。
電話でしゃべる時。車を運転する時。歌を歌う時。別人になる人は少なくない。
また、職場での自分とプライヴェートの自分は同一か。家族と他人との接触時は。
我々はいくつもの顔を使い分けている。
ならば我々は多重人格者か。
そうではない。モードを切り替えているだけだ。
そのモード間の落差が大きいほど、はたから見れば面白い。

ただ、個々の「人格」があまりにも乖離してしてしまうと。
様々な面で混乱が生じる。
どれもが「自分自身」であることには違いないのだが。
極端な振幅を頻繁に繰り返していては、やがて破綻を迎えることになる。
日常の中で少しずつ擦り合わせていければ理想的だが、そう簡単にもいくまい。
そうやってバランスをとりながら生きてきたのだから。
その極端な振幅もまた、「自分」の中から生まれたものなのだ。

私も英語で話す時には(そんな機会はほとんどないが)きっとオーバーアクション
になるはず。
それは必ずしもアメリカ人になりきろうとしているわけではなく、つたない語彙を
ジェスチュアで補おうとするためだと思う。すなわちジェスチュアも言語の一部
なのである。

言葉はツールに過ぎない。
ツールに頼り過ぎてはならない。

大切なのは、そのツールを使ってつくりあげる「モノ」なのだ。



バイリンガルはどのようにして言語を習得するのか山本 雅代

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