酒は飲んでも尻触るな
18歳から酒を飲ませろ、全米100大学長が署名(MSN産経ニュースより)
法律での飲酒可能年齢が21歳以上であるアメリカでは21歳以下の大学生たちによる飲酒が問題となっているようだ。しかし驚くべきは法律を守らない彼らではない。なんと彼らの飲酒による乱痴気騒ぎに業を煮やした大学側が飲酒可能年齢を18歳に引き下げるように求める署名を行っているというのだ。
二十歳前後で大学生とあれば社会的責任も少なく、親元を離れ、自由奔放に様々な友人とも知り合える大切な時期だと思う。金はないが時間はある。恋のいろはも、いや恋のABCすら取りとめもなく楽しい時であることに間違いはない。もちろん勉学が本業であることに変わりはないが、他者とのコミュニケーションにおける手段や空気を読む力を縦横無尽に学べる絶好の機会でもあるわけだ。お酒無くして何がある。
私に関しても例に漏れず飲んだ。飲んで飲んで飲まれて飲んで飲んで飲みつぶれて眠るまで、飲んだ。日本での法律では幸い二十歳以上が飲酒可能な年齢だが、アメリカに違わず日本でも同じような現状があるのではないだろうか。ないだろうかではない。ないはずがないということで、ある、だ。そう考えるともはや形骸化してしまった飲酒可能年齢を正当に遵守させることの意味すら怪しくなってくる。アメリカの大学側が言う「年齢を引き下げた上での飲酒に関する正しい知識を教育すること」の方がメリットとして大きいと私も思う。「お酒の正しい飲み方」など自然に身に付くものと考えるのは現在の社会では犯罪者を野放しにしているのと大差ない。飲酒年齢を引き下げることによって明確な責任を負わせることこそ本人達の自覚を促すものではないだろうか。
この飲酒可能年齢引き下げによって飲酒運転撲滅を唱えるアメリカの市民団体からは飲酒運転の増加を危惧する声があがっている。もちろんそこが最も不安な要素であることに間違いはない。しかし飲酒=飲酒運転と結びつけてしまうのは早急すぎはしないだろうか。一昨年福岡県で起こった子供3人が飲酒運転の車に追突され車ごと海に転落して亡くなった事件は明らかに私たちの飲酒運転に対する意識を変えるものだった。劇的に世論の動きを感じた方も多いのではないだろうか。それでもなお飲酒運転の検挙率に変化が見られないのは紛れもなく私たちの無知のためであって、飲酒年齢云々で語るレベルではないと思う。
アメリカの学生たちに18歳からお酒が飲めるということが一体どういうことなのかを大学側がどれくらい教え説くことができるのかにすべては委ねられている。飲酒運転撲滅運動を展開している市民団体との論争は簡単に終息を迎えることはないかもしれないが、一度大学側の知識人たちの練り上げた知恵を実践してみるのも一つの手段ではないだろうか。
とんねるずの「みなさんのおかげです」の初期、木梨憲武がよく言っていた台詞に「酒は飲んでも尻触るな」というものがある。酒を飲むということは、その歓びの代償として禁止事項がたくさんあるということを再認識しなければ、いずれその楽しみすら法律により奪われる時がくるかもしれない。
日米両国の大学生の皆さん。そうならない為にももうちょっと静かに飲みましょうね。







コメントを書く