シンセサイザー・カタルシス

シンセサイザー・カタルシス

タッパーに入った自作シンセサイザー「トモミン」Gizmode Japanより)


シンセサイザー。何というきらびやかで官能的な言葉だろうか。私が中学生の時、それはもう寝ても覚めてもYMOだった。特に坂本龍一は神だった。現在のようにパソコンのスイッチを入れさえすれば彼が今日はいているパンツの色まで分かるような時代が訪れるとは夢にも思わなかった70年代。神に一歩でも近づくために、彼が自由自在に操るシンセサイザーなるものを手に入れたくて小さな街の楽器屋という楽器屋を覗きまわり、挙げ句の果てに手に入れたYAMAHA CS-10。当時10万円近くしたそのシンセサイザーを、中学生だった私は、親のスネの骨が見えるほどにかじりついて、ようやく買ってもらったわけだが、あの時ほど親に感謝したことはない。心底ウチの親は日本一だと思った。

そして我が家にシンセがやってきた。今では信じられない話だろうけど、当時そのシンセサイザーを家まで持ってきてくれた楽器屋の店員が1時間くらいだったろうか、セッティングから説明、そして実演までしてくれたのだ。忘れもしない、YMOの「ライディーン」を見事に私の目の前で披露してくれたのだ。単音しか出ないモノフォニック・シンセだったけれど、片手でそのメロディを実音に限りなく似た音色で演奏してくれる店員はあまりに嬉しそうな私に調子づいたか、次から次へと信じられないような未来の音を体操座りで鑑賞する私に聞かせてくれた。

そう、未来の音だったのだ。見た事もないモノを見るのも感動だが、聞いた事もない音を聞くこともまた、感動だった。今のデジタルシンセのようにプリセットボタンなどもなく、わけの分からないツマミをあーでもない、こーでもない、と操作しながら、憧れの坂本龍一に近づいていく。今までの人生であれほど鳥肌を立てたことはない。この歓びを、シンセサイザーという名前さえ一般的ではなかった時代、誰と共有するでもなく一人噛み締め、えも言われぬ開放感に浸っていた。それはマスターベーションより先に覚えたオルガスムスだった。

前フリが長くて申し訳ない。パフォーマー兼作曲家の足立智美さんという方が作られたというアナログシンセサイザー「トモミン」。タッパーウェアの筐体に無数のツマミ群。1994年の発売開始以来、テクノ、オルタナティヴミュージックの世界で人気を呼んでいるというが、深みや艶という人間臭さを表現するにはやはりアナログシンセに越したことはない。テクノに味わいを求めるのもどうかと思われるが、人間はやはり人間に備わった感情というフィルターでしか判断できないものなのだろう。

タッパーウェアという日用品を使用した「トモミン」。
残った晩飯のおかずは、翌日意外においしいってことかもね。


YAMAHA CS-10 懐かしい。



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