全然、禅じゃない
先日、九州国立博物館に「京都五山 禅の文化展」を観に行った。
小雨まじりの生憎の天気の中、米山峠を越えて太宰府へ。道に迷う事なく到着したが、第一駐車場は予想通りの満車。しぶしぶ第二駐車場へと誘導され、長い階段とスロープを歩き本館へと向かう。氷雨に傘を打たれながらゆっくりと歩くのも真冬の風情を感じられてなかなかに味わいがあるものだ。
しかしここで油断をしてはいけない。
なぜならばもしかしたらこの私が「10万人目の入場者」になるかもしれない恐れがあるからだ。それだけは阻止せねばならない。平成20年1月1日〜2月24日までの開催期間で、現在の九州国立博物館の人気からして「そろそろ」危ないのではないかと。
チケットを購入して入館し、長い長いエスカレーターを上ると、入場カウンターがある。すでに先を急ごうと数十人の人が列を作って並んでいる。改札レディの背後には黒いスーツに身を包んだ男性が控えていて入場者の様子を伺っている。
「一体、今現在何人目なんだ」
9万9985人目くらいだったら、確実にこの私が危ない状況だ。しかし気を落ち着かせて最後尾に並ぶとまずは天井を仰いだ。ドーム型の曲線が滑らかなそこに『くす玉』はない。くす玉がないからといって安心するのはまだ早い。陰から待ってましたとばかりに職員が出てきて、長い棒の先に取り付けたくす玉をアッという間に私の頭上で割ってしまう可能性だって否定はできない。割られたら最後、即座に私は用意されたお立ち台に立たされ満面の笑みを浮かべたインタビュアーがマイク片手にわたしに向かってくるだろう。どこにいたのかKBCだかRKBだかのカメラマンがレンズを一勢にこちらへ向け「もっと笑顔で」だとか「こっち向いて」だとか指示を飛ばす。こうなってはもうパペット同然操られるままだ。
胸の高鳴りを抑えつつ、黒いスーツの男性から視線を逸らしながら一歩一歩と入場カウンターへと進む。今ならまだ列を外れることだって出来る。今ならまだ十分な猶予がわたしにはある。さあ決断の時だ。列を外れたことで次に入る時に大当たりする確率は上がりも下がりもしないのは十分承知の上だ。
禅とは自分自身の内面に本来そなえている仏性を再発見するために修業を重ね、その修業を通して新たな価値観を切り開いていくことを目的とする。10万人目に当たってもいいではないか。何を嫌がる必要がある。世の中に起こり得るすべての事象をあるがままに受け入れ、是もなく非もなく生きていこうではないか。既成概念に捕われた身を今こそ解き放つ機会を仏様はまさに私に与えてくれたのだ。
足取りが確かなものとなった私は、一点を見つめたまま歩みを進める。黒いスーツ、私を見よ。くす玉、どっからでも割ってこい。テレビカメラ、私以外映すな。世の中の人々、夕方のニュースをお楽しみに。
内面から溢れでる仏の声に背を押されたわたしは、汗で湿った入場券を脇目もふらずに改札レディに渡した。
※昨日(2月9日)、宗像市の保健師さんが10万人目の入場者になられたようです。







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