真夜中のサステナビリティ
サステナビリティ(sustainability)という言葉をご存知だろうか。
最近になって特に声高に叫ばれるようになった「循環型」とか「持続可能な」といった訳が当てはまる言葉だ。小難しい話は抜きにして噛み砕いて言えば「もったいない」の精神と思っていい。ケニア副環境大臣マータイさんが主張するあれだ。地球の環境はすでに壊滅的状況であると報道されて久しいが、まだまだもって私達の意識は相当に低いものと言える。
冬が多少暖かく感じるようになったくらいでは今まで当然のように行ってきた利便性重視の行動を変えようなどとは思わないのが私達人間だ。例えばそういう私も車を運転している時、信号停車のたびにエンジンを切ったりはしない。エンジンを切ったが最後、次にエンジンがかかる保証がないようなボロ車だからという理由だけでは済まない。明らかに意識が足りていないことは反省に値する。エンジン乗せ替えてでも実践しなければ意味がないし、わたしのようなボロ車に乗った人がボロ車だからという理由でアイドリングストップを実践しなければいっこうに事態は変わらない。
極端な例を出して申し訳ないが、それこそがサステナビリティの欠如ではなかろうか。「ガソリン」が「もったいない」と思わなければいけない。続けて言うとその「もったいない」と思う気持ちを全員が持ち続けなければ無意味な気休めに終わってしまう。常にどのような場面においても実践する持続性こそ最大の効果を産む。サステナビリティの基本だ。
であるからにして、出来ないことは実践しないほうがいい。時々でも実践したほうが少しはマシだとも思えるが、意識を持つという点において中途半端な活動に終わってしまう。まずは継続して出来ることから。今現在であればいつ始めても遅すぎるということはない。割り箸をやめて箸を持参するのもいい、寒ければ暖房の設定温度を下げ、服を着込めばいい、食後の食器は水に付ける、これも立派な環境保全だ。
環境保全を全面に打ち出して生活をするということは素晴らしいことではあるが、エコロジーな活動をすることに気恥ずかしさを感じる面も多々あるだろう。私自身、スーパーに買い物に行くのにエコバックを持参しているが、なんとなくレジでは堂々とできていない。特に男性はそう思っている人が多いかもしれない。しかし気恥ずかしいからしない等と悠長なことを言ってる時間はもう残されていない。
真夜中のベッドの中でのサステナビリティを強化しようと躍起になるのも悪くはないが、ここは一つその情熱に満ちたサステナビリティの欠片でもエコロジカルな行為に変換して地球の温度を下げることに貢献してみてはいかがだろうか。
と、マータイさんは言ってはいないが。











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