ポロリンピック
中川翔子 80年代のTV番組「女だらけの水泳大会」を絶賛(Ameba Newsより)
顧みると80年代は実にいい時代だった。テレビがテレビ足り得た唯一の時代だったのではなかろうか。
タレントの中川翔子が自身のブログで1989年にテレビ放映された「女だらけの水泳大会」を絶賛している。「女だらけの水泳大会」に限らず、男性アイドルも参加する「芸能人の水泳大会」は欠かさず観ていた。生活感をまったく感じさせない当時の女性アイドルはまさに偶像であり、イメージが創り上げた視覚の虚像が肌も露わにプールで大はしゃぎしている姿は思春期真っただ中だった私にとって何よりも刺激的だったことは言うまでもない。
加えて言うならばオッパイ「ポロリ」である。昨今これだけ情報網が整備され、テレビ技術も進歩したというのに、もはや「ポロリ」は永劫の彼方へと葬られた密林の遺跡のように目にすることがなくなった。80年代を知る者にとっては哀しみの極みである。あったのだ。家族団欒のゴールデンお茶の間タイムにそれは当たり前のようにあったのだ。特に番組の最後にある水中騎馬戦では、騎上で勇猛に戦うトップアイドルたちの後ろで名も無き女性タレントのビキニがあたかも仕込まれていたかのように外れ、ポロリと露わになった両のオッパイが水しぶきを反射する。リフレクション・オブ・オッパイだ。そうなるともうアイドルなんて眼中にはない。それまで事細かに目で追っていた早見優や柏原よしえ、石川秀美に堀ちえみはただの彫刻と化し、オッパイを隠すフリはするが隠す気がないポロリタレントだけがリアルな生命の息吹きを持ってテレビ画面からお茶の間にいる私の股間を直撃する。
咳払いをし、新聞に目を落とす父親。「あ、そうそう」と言って台所に立つ母親。妹は背を向け息を潜める。たった二つのオッパイが一家の心をバラバラに解体してしまう。その圧倒的なパワーこそ80年代のエネルギーだったのだ。紛れも無くテレビというメディアが熱を帯び、インタラクティブとは対極を成す一方的な方法論で世の中をあざ笑うかのように自由を電波に乗せて発信していた。
中川翔子が言うように「芸能人の水泳大会」の復活を夢見ている人も大勢いることだろう。しかし企画的にあの当時の沸点に達することはないはずだ。テレビの規制は言うまでもないが、アイドル不在の今の世の中では、市民プールではしゃぐオネーちゃんを見ていた方がまだましなような気がする。隣に住んでいる「普通のおねえさん」のようなタレントを賛美する風潮は間違いなくメディアを萎縮させ衰退へと導いている気がしてならないのだが。
今の日本は悠長に総理大臣を決めている場合ではない。どのタレントがポロリしてもおかしくないこのご時世、お風呂に入った時まず右手から体を洗い始めるような、混じりけのない高純度なアイドルの出現を国民一丸となって熱望しないことには、この国の憂鬱は永遠に続くことになるだろう。







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