涙のラスト・ワイパー
ワイパーよ、さらば(asahi.comより)
車のデザイン及び外観上、隠そうとするモノに機能性を持たせることはもはや無駄なことである。
まさにワイパーがそれだろう。フロントウィンドウとボンネットフードの付根あたりに何やらゴチャゴチャした感があるのはワイパーがあるから仕方ない。いくらメーカーが隠そうとしても駆動時に一回一回姿を現さなければならないため、格納時にできるだけ見えないように工夫はされているにもかかわらずフロントからルーフにかけてのデザインの流麗さが一旦切断されるのは残念だ。
しかしこれはデザインに限った話ではない。車のワイパーゴムなど交換した覚えのない私が言うのも何だが、これからは随分と楽になりそうだ。ジュネーヴ・モーターショーに、ワイパーを取り払った車が公開されたという。まだまだプロトタイプの段階で実用化も先の話というが、理論も何もナノテクノロジーを応用した特殊フィルムをウィンドスクリーンに貼っただけのもので、走行中の風圧でウィンドウの汚れや雨粒が落ちるという。気になる停車時は、ウインドウを取り囲むように開けられた小さな穴から空気と水を噴射するという仕組みらしい。そして特筆すべきは、真冬のパリパリに凍った霜すらも難なく溶かすというから私は欲しい。冬の朝の5分間は貴重だ。
これぞソフトウェア的に未来を感じるものではないか。いくら斬新で空を飛ぶようなスタイリングをした自動車であったとしてもワイパーが動いた途端にアナログ臭漂っては、すべてが台無しになってしまう。まさに自動車とは未来の予感そのものであって、人々に夢を与え続けなければならない宿命を背負っていることに間違いはない。長年に渡ってワイパーの存在に疑問を抱いていた開発者でイタリアのカーデザイナー、レオナルド・フィオラヴィンティ氏の着眼点は、やはり生涯自動車に関わり続けた人間にしか見えてこないものである。普段から何気なく使っているものに異論を唱え、その代替物を創造することがいかに困難なことであるかは、百年以上変わらず自動車の行く手をクリアにしてきたワイパー一つとっても明白なことではないだろうか。
ドライブ中に目の前を右に左に動き回るワイパーが無くなるのは少し寂しい気もするが、人の心に感傷を産むのもまた進化である。涙を拭いて期待しよう。
車のデザイン及び外観上、隠そうとするモノに機能性を持たせることはもはや無駄なことである。
まさにワイパーがそれだろう。フロントウィンドウとボンネットフードの付根あたりに何やらゴチャゴチャした感があるのはワイパーがあるから仕方ない。いくらメーカーが隠そうとしても駆動時に一回一回姿を現さなければならないため、格納時にできるだけ見えないように工夫はされているにもかかわらずフロントからルーフにかけてのデザインの流麗さが一旦切断されるのは残念だ。
しかしこれはデザインに限った話ではない。車のワイパーゴムなど交換した覚えのない私が言うのも何だが、これからは随分と楽になりそうだ。ジュネーヴ・モーターショーに、ワイパーを取り払った車が公開されたという。まだまだプロトタイプの段階で実用化も先の話というが、理論も何もナノテクノロジーを応用した特殊フィルムをウィンドスクリーンに貼っただけのもので、走行中の風圧でウィンドウの汚れや雨粒が落ちるという。気になる停車時は、ウインドウを取り囲むように開けられた小さな穴から空気と水を噴射するという仕組みらしい。そして特筆すべきは、真冬のパリパリに凍った霜すらも難なく溶かすというから私は欲しい。冬の朝の5分間は貴重だ。
これぞソフトウェア的に未来を感じるものではないか。いくら斬新で空を飛ぶようなスタイリングをした自動車であったとしてもワイパーが動いた途端にアナログ臭漂っては、すべてが台無しになってしまう。まさに自動車とは未来の予感そのものであって、人々に夢を与え続けなければならない宿命を背負っていることに間違いはない。長年に渡ってワイパーの存在に疑問を抱いていた開発者でイタリアのカーデザイナー、レオナルド・フィオラヴィンティ氏の着眼点は、やはり生涯自動車に関わり続けた人間にしか見えてこないものである。普段から何気なく使っているものに異論を唱え、その代替物を創造することがいかに困難なことであるかは、百年以上変わらず自動車の行く手をクリアにしてきたワイパー一つとっても明白なことではないだろうか。
ドライブ中に目の前を右に左に動き回るワイパーが無くなるのは少し寂しい気もするが、人の心に感傷を産むのもまた進化である。涙を拭いて期待しよう。







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