ミス・デジタル

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美人の判定はコンピュータで——イスラエルの研究者が開発美人コンテストの初期審査はコンピュータが代行することになるかもしれない。(ITmediaより)


「なんでもかんでもコンピュータに頼るんじゃないぞ」と頑固オヤジに怒られそうだが、人間の顔を美的観点から処理できるソフトウェアが開発されたらしい。

とりあえず結論から言えば、このソフトは役に立たないのではないかと思われるが、どうだろう。今回は女性の顔をその判断材料として30人の被験者に100枚の女性の写真を見せて、その優劣を1から7までの数値で示してもらうというものだが、被験者が選んだ美人の順位の近似値をコンピュータがはじき出したのだろう。成功だそうだ。

何が成功なんだ?美人の判断基準ほど曖昧なものはないのではないか?100人いれば100人の基準があるものをコンピューターに判断させること自体ナンセンスなのでは。これが美人コンテストに導入されるとすれば、逆に面白みに欠けるコンテストになりそうな気はしないか。いや、そのまた逆に面白い結果も期待できそうな気もしないではない。

カナダの女性フィギュアスケート選手ジョアニー・ロシェットとカルーセル麻紀の美しさの差をこのソフトがどのように判断するかは全世界が注目するところであろうし、荒川静香と片桐はいりでは視覚的に人間が検知できない美しさをソフトが拾って片桐はいりに優の判断が下される可能性だって否定できない。

日本におけるトップアクトレス深津絵里単体に至ってはその微妙さゆえ優劣を判断するにあたってコンピューターの処理能力は限界に達するかもしれない。ギリギリテラバイトな感じだ。深津絵里の魅力はこのギリギリなところにあるんだ。コンピューターでさえ判断し難い、深津絵里という造形は美にあらず醜にあらずの綱渡り。神の手による絶妙なそのバランス感覚。

「深っちゃんに似てるから」

女性が合コンをセッティングしたり、紹介してあげるという場でこう言う時は細心の注意が必要だ。「似てる」ではいけないのだ。今風なところで言えば相武紗季や蒼井優、長澤まさみや新垣結衣に似てると言われれば、それなりの期待はしてもいい。しかし深っちゃんはヤバい。ちょっとの違いが命取りになる。逆に言えば深っちゃんとは唯一無二の存在で、偽はない。深っちゃんのみぞ真なのだ。きらきらひかるかばちたれなのだ。1999年の夏休みに博士の愛した数式を解くような感じなのだ。永遠に深っちゃんは他の誰でもなく深っちゃんであり続けるわけだ。プロフィールの好きな芸能人に深っちゃんと書くのを忘れている私もまた永遠のファンであり続ける所存だ。くだらないソフトの話なんてどうでもいい。深っちゃん、あぁ深っちゃん、深っちゃん。

曖昧な事象を数値化して明確な判断基準にする、という事がデジタルに科せられた命題とでもいうように、この手のソフト開発の話は雨後のタケノコのように日々話題にあがる。しかし甲乙、優劣、上下に天地。人の感情や嗜好を数値化することは全くもって不可能で、結果これらのソフトはその中庸を取っているだけにすぎない。これだけ価値観が多様化した世の中にあって、「平均的」なものはもはや悪であると言わざるを得ないだろう。

中庸から遠ざかれば遠ざかるほど、デジタルに感知されない人間味が溢れてくる。そのぬくもりだけは世界がデジタルでどう変わろうとも明け渡してはならない。




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