帰らぬ真実

帰らぬ真実

倒れる長井さんの写真、ピュリツァー賞にasahi.comより)


ミャンマーの反政府デモの取材中に軍事政権側からの発砲で命を落としたジャーナリストの長井健司さん。彼のまさに「その時」を写した写真がピュリツァー賞を受賞した。カメラマンはロイター通信のアドリース・ラティーフさん。彼が何者なのかは定かではないが、あの瞬間に立ち会えた奇跡とミャンマーの理不尽な現実を見事に捉えた一枚だと思う。

左に逃げまどう市民、右に兵士、そしてその間で銃弾に倒れながらもカメラを回す長井さん。なんという構図だろう。絶対多数の正義に対して、一握りの悪。そして真実を見つめる中立的視線もまた、一握り。この世界の縮尺図に言葉の無力さを感じる。生ぬるい世界に身を置いている私たちには到底想像もできない世界から届いた写真や映像に意味付けしようとすること自体馬鹿げている。

この事件が報道された時、「なぜ?」だとか「どうして?」という疑問符は不思議に浮かんではこなかった。あまりにショッキングな映像だったからかもしれないが、脳裏をよぎるのは倒れながらもカメラを回す長井さんが「何を考えていたのだろう」ということばかり。あの生死の境という極限状態ですでに冷静な判断力はなかったかもしれない。しかしジャーナリストとしての何十年間という経験と世界の不条理に対する抵抗が反射的に「伝えよう」という意思を脳の指令を待たずに肉体へ伝えたとしか言いようがない。義務感を越えたまさに長井さんの魂そのものの動き。

ピュリツァー賞を受賞したラティーフさんもまた同業者として、ファインダーを向けながら痛切にそのことを感じたに違いない。

残念ながら長井さんが死の間際まで手にしていたカメラは日本には戻ってきていない。そのカメラの中に収められている映像がいかなるものかは想像する他に手段はない。もしその映像がすぐに発表されていれば、今回のピュリツァー賞もまた違った結果になっていたかもしれない。しかしジャーナリストとして非業の死を遂げた長井さんのことをドラマティックな視点で考えることは、これからのジャーナリズムのあり方に対して無意味なことだと長井さん自身もうなずいているはずだ。

「ピュリツァー賞なんていらないよ」

生前に撮られた穏やかな表情で子供たちと接する長井さんなら、はたしてどう言っただろうか。



関連記事

  • 関連記事はありません

コメントを書く

次のXHTMLタグが使用できます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

トラックバックURL