僕と一青窈

僕と一青窈

先日、日経新聞のコラム欄に歌手の一青窈が歌う「ハナミズキ」について書いてあった。

印象としてこの一青窈に際だったものは感じないのだが、その「ハナミズキ」という曲の歌詞に隠されたテクニックには驚いた。

サビの部分の「僕の我慢がいつか実を結び〜♪」というところ。中島みゆきに始まり、浜崎あゆみ、My little lover、ELT、中島美嘉などの曲に多用されているこの「僕」。このように女性シンガーが歌詞の中に「僕」という男性一人称を使うことはよくあることだが、「私」を使うよりも、より自分をぼかし、曖昧な感じにして客観性を演出しているというわけだ。

しかし、この「僕」。そういった効果以外にもう一つ有効な手段となる。ということを一青窈が言っていた。それは「有気音」。耳慣れないこの言葉は中国語の発声方法の一つだという。中国語で強い気息音をたてる言葉のことを有気音というらしいが、この有気音である「僕」の「ぼ」が人の耳にはより強く印象に残り易いらしい。詳しいことは分からないけれど、周りに人がいないことを確認して「わたし」と「ぼく」を繰り返し声に出してみるとよく分かる。明らかに「ぼく」のほうが強く響くことが理解出来るだろう。「私は死にません」よりも「僕は死にまっしぇーん」の方が力強いのとはちょっと違うが。

台湾と日本のハーフである一青窈ならではの着眼点である。ただの流行や客観性を意識しているだけのものではなく、「僕」という言葉に、聴く人の気持ちに残ってもらいたいという彼女の意志が内包されていたのだ。それに歌詞の抽象性と心地よいメロディが伴えば、万人の心を打つパワーと成り得ないわけがない。彼女のデビュー当時「ライブを見た人が皆涙を流している」とワイドショーに取り上げられたことを覚えている方もいるかもしれない。自分の作品に対する神経質なまでのきめ細やかさが、表現のポテンシャルを最大限に引き出した結果として十分うなずける話ではないだろうか。

「よりたくさんの人に伝えようと思うと歌詞は狭くなる。対象を絞ったほうが言葉は普遍化する」

個人に向けた想いを万人に理解してもらうために、言葉の響きをも大切にする一青窈。これからもみんなの胸に響く言葉を奏でてくれることだろう。

と「僕」は思うのだが。



オチ弱いですか?



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2 コメント あり “僕と一青窈”

  1. ふむ。ソースを読んでいないので何とも言えないけど。

    僕の「ぼ」は、有気音ではないと思う。

    ただ、この「ぼ」の音は、中国語にはない発音なのよね。
    濁点のつく発音が言語形態に存在しない。
    私の知っているいわゆる普通語(:標準中国語)においては。
    ちなみに台湾でも公用語は普通語。

    たとえば日本語を覚えたての中国人が
    「誰がそんなことを言ったのですか」
    と言う時に
    「たれかそんなことをいったのてすか」
    という風に発音してしまうことがある。
    濁点の発音がうまくできない。中国語の発音形態のままで表現しようとするから。

    中国人にとっては、自国の言葉にない響きが、魅力的に感じるかもしれない。
    新鮮で、耳に心地良く感じるかもしれない。
    一青窈が言いたかったのはそういうニュアンスのことではないかと。
    あくまでも推測ね。

    そういう風に、中国語に多少の心得がある「僕」は思う。

  2. まったく下調べ無しで書いたから
    有気音に関しては大間違いしてたかもね。
    おっしゃる通り、一青窈が言いたかったのはニュアンスのことだろう。

    と「僕」も思う。

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