具志堅君の愛した新聞
新聞投稿の喜び1冊に コザ高3年、具志堅君まとめる(琉球新報より)
新聞をじっくり読むことがなくなってきたような気がする。1日のほとんどをウェブの閲覧に要するようになって、新聞を開いてもほとんどの見出しがすでにウェブでチェック済みというわけだ。中には2-3日前の情報が載ってたりする場合もままあり、新聞のその緩やかなスピード感が鼻について苦笑いにもならないこともしばしばだ。情報の核となるものは、もちろん「正確さ」であるが、次に挙げれと言われればやはり手元に届くスピードではないだろうか。故にもはや新聞媒体はインターネットに及ぶべくもない過去のものとなりつつあるのでは。
沖縄のコザ高校の三年生、具志堅君(写真)が自ら新聞社に投稿した記事をまとめた「新聞投稿集」なるものを50部ほど作成したという。「具志堅新聞投稿集」早口言葉のように歯切れがよい響きだ。それはさておき、この投稿集、沖縄が抱える諸問題や沖縄の方言、水俣病問題や、最近では北京五輪などに関する意見がその内容であるというが、60年以上に及ぶ沖縄のその歴史を17年間生きた高校生がどのように感じているのかを読んでみたい気もする。
この具志堅君、高校一年生の時に投稿した記事がそのまま新聞に掲載されたことに感激して幾度となく投稿を始めたという。何事もきっかけは大切だ。自分の文章が綺麗な活字になって紙面を飾るということは誰にとっても嬉しいことに違いはない。私も以前マイナーな文芸誌であったが、紀行文を投稿して採用された時は、思いっきりタイトルが誤植であったにもかかわらず、にやけながらその冊子を眺めたものだ。まるで我が子を見守る親のような感覚と言えば分かりやすいだろうか。手元を離れていった文章はまさに分身。
インターネット全盛の世の中で、ブログを使ってこの感覚を得ることは非常に難しい。あまりの手軽さがその要因の一つであることに間違いはない。手軽に考えて、手軽に打ち込んで、手軽にアップして、気軽に見てもらう。新聞や雑誌に投稿、寄稿する時の緊張感や責任感が、すべてとは言わないまでも明らかに欠如している。誰かに伝えようとする熱意さえ回線を伝わっていく間に冷まされているような気がしてならない。
具志堅君もやろうと思えば、自分の意見や考えをウェブに乗せて発信することぐらい出来ただろう。色々なところにトラックバック貼って、不特定多数の人に意見を求めることも可能だったかもしれない。しかし彼はあえて新聞媒体を選択した。デジタルで即応性が高い媒体にアンチテーゼを唱える彼の姿勢は次の言葉にすべて集約されていると言える。
「新聞にはローカルニュースがたくさん載っていて、沖縄のことをたくさん知ることができる」。
便利な世の中で、外ばかりに目を向けていると大切なことを見失うぞ、と。
彼の言葉が胸に染みる。
新聞をじっくり読むことがなくなってきたような気がする。1日のほとんどをウェブの閲覧に要するようになって、新聞を開いてもほとんどの見出しがすでにウェブでチェック済みというわけだ。中には2-3日前の情報が載ってたりする場合もままあり、新聞のその緩やかなスピード感が鼻について苦笑いにもならないこともしばしばだ。情報の核となるものは、もちろん「正確さ」であるが、次に挙げれと言われればやはり手元に届くスピードではないだろうか。故にもはや新聞媒体はインターネットに及ぶべくもない過去のものとなりつつあるのでは。
沖縄のコザ高校の三年生、具志堅君(写真)が自ら新聞社に投稿した記事をまとめた「新聞投稿集」なるものを50部ほど作成したという。「具志堅新聞投稿集」早口言葉のように歯切れがよい響きだ。それはさておき、この投稿集、沖縄が抱える諸問題や沖縄の方言、水俣病問題や、最近では北京五輪などに関する意見がその内容であるというが、60年以上に及ぶ沖縄のその歴史を17年間生きた高校生がどのように感じているのかを読んでみたい気もする。
この具志堅君、高校一年生の時に投稿した記事がそのまま新聞に掲載されたことに感激して幾度となく投稿を始めたという。何事もきっかけは大切だ。自分の文章が綺麗な活字になって紙面を飾るということは誰にとっても嬉しいことに違いはない。私も以前マイナーな文芸誌であったが、紀行文を投稿して採用された時は、思いっきりタイトルが誤植であったにもかかわらず、にやけながらその冊子を眺めたものだ。まるで我が子を見守る親のような感覚と言えば分かりやすいだろうか。手元を離れていった文章はまさに分身。
インターネット全盛の世の中で、ブログを使ってこの感覚を得ることは非常に難しい。あまりの手軽さがその要因の一つであることに間違いはない。手軽に考えて、手軽に打ち込んで、手軽にアップして、気軽に見てもらう。新聞や雑誌に投稿、寄稿する時の緊張感や責任感が、すべてとは言わないまでも明らかに欠如している。誰かに伝えようとする熱意さえ回線を伝わっていく間に冷まされているような気がしてならない。
具志堅君もやろうと思えば、自分の意見や考えをウェブに乗せて発信することぐらい出来ただろう。色々なところにトラックバック貼って、不特定多数の人に意見を求めることも可能だったかもしれない。しかし彼はあえて新聞媒体を選択した。デジタルで即応性が高い媒体にアンチテーゼを唱える彼の姿勢は次の言葉にすべて集約されていると言える。
「新聞にはローカルニュースがたくさん載っていて、沖縄のことをたくさん知ることができる」。
便利な世の中で、外ばかりに目を向けていると大切なことを見失うぞ、と。
彼の言葉が胸に染みる。





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