言葉はなくとも
話もしないのに携帯かけっ放し 最近の中高生は本当にこうなのか(J-CASTニュースより)
携帯電話が普及の兆しを見せ始めていた頃、夜中にある女性と電話をしている最中、眠ってしまったことがあった。生憎、先方の女性も眠ってしまい計らずも今日の話題である、「話もしないのに携帯かけっ放し」状態を十数年前に実行したというわけだ。翌月、若い方はご存知ないかもしれないが、キャリアであるデジタル・ツーカー(現ソフトバンクモバイル)から目から電磁波が出るような通話料の請求が舞い込んできたことは言うまでもない。それにしても好意を寄せている女性にいとも簡単に繋がる携帯電話の身を焦がすほどの可能性に体を震わせた日々が昨日のようであるのだが、昨日であれば、一銭もいらなかったのだ。
ソフトバンクの「ホワイト学割」。
同社携帯同士なら国内通話で午前1時〜午後9時までの通話が無料だという。携帯の細かいサービスに関してまったく疎い私にとって、時代もとうとうここまで来ていたのか、といった印象だ。デジタル・ツーカー通話料返せ。
中高生の間で、この料金サービスを利用して、通話状態にしたままの携帯を部屋に放置して、ただ生活音だけを発っし、そして聞くという使われ方が話題になっているようだ。要は本来の目的である通話による会話ではなく、ただ携帯の先に誰かが存在しているということを確認するための手段。相手は友達であったり、交際相手だったりする場合がほとんどであると思われるが、携帯から聞こえてくる相手の生活音を聞いて何を感じているのかは知るところではない。
コミュニティへの所属願望が強迫観念に近くなっている、という小難しい意見もあるが、一理あっても一概ではない。携帯が繋がっていないと不安であるという最近の若者に向けられがちな一般認識に対しても正確な判断は下されない。いくら世の中がこれら彼、彼女等の行動を読み解いたところで当の本人達は「別にフツーじゃねえのw」と淡々としている。「フツー」なのだ。
産まれて物心ついた頃にはすでに携帯が日常品であった彼、彼女等にとって誰かと常に繋がっているという感覚は、私たちが持っている能動的なコミュニケーションの手段としての携帯とは別のものであると言っていい。友達を部屋に招き入れて、することもなくお互い漫画を読んでいるようなもので、そこにいるのか、いないのかの違いにとやかく言うほどの隔たりを感じてはいない。テレビはタダで見られるからいつまでも見るように、携帯もタダだからあなたと繋いでおこうと思うのは当然の欲求からくる帰結なのではないか。
青少年達は大人が思っているほど寂しさや不安なんか感じていないと思うのは、果たして厳しすぎることだろうか。
携帯電話が普及の兆しを見せ始めていた頃、夜中にある女性と電話をしている最中、眠ってしまったことがあった。生憎、先方の女性も眠ってしまい計らずも今日の話題である、「話もしないのに携帯かけっ放し」状態を十数年前に実行したというわけだ。翌月、若い方はご存知ないかもしれないが、キャリアであるデジタル・ツーカー(現ソフトバンクモバイル)から目から電磁波が出るような通話料の請求が舞い込んできたことは言うまでもない。それにしても好意を寄せている女性にいとも簡単に繋がる携帯電話の身を焦がすほどの可能性に体を震わせた日々が昨日のようであるのだが、昨日であれば、一銭もいらなかったのだ。
ソフトバンクの「ホワイト学割」。
同社携帯同士なら国内通話で午前1時〜午後9時までの通話が無料だという。携帯の細かいサービスに関してまったく疎い私にとって、時代もとうとうここまで来ていたのか、といった印象だ。デジタル・ツーカー通話料返せ。
中高生の間で、この料金サービスを利用して、通話状態にしたままの携帯を部屋に放置して、ただ生活音だけを発っし、そして聞くという使われ方が話題になっているようだ。要は本来の目的である通話による会話ではなく、ただ携帯の先に誰かが存在しているということを確認するための手段。相手は友達であったり、交際相手だったりする場合がほとんどであると思われるが、携帯から聞こえてくる相手の生活音を聞いて何を感じているのかは知るところではない。
コミュニティへの所属願望が強迫観念に近くなっている、という小難しい意見もあるが、一理あっても一概ではない。携帯が繋がっていないと不安であるという最近の若者に向けられがちな一般認識に対しても正確な判断は下されない。いくら世の中がこれら彼、彼女等の行動を読み解いたところで当の本人達は「別にフツーじゃねえのw」と淡々としている。「フツー」なのだ。
産まれて物心ついた頃にはすでに携帯が日常品であった彼、彼女等にとって誰かと常に繋がっているという感覚は、私たちが持っている能動的なコミュニケーションの手段としての携帯とは別のものであると言っていい。友達を部屋に招き入れて、することもなくお互い漫画を読んでいるようなもので、そこにいるのか、いないのかの違いにとやかく言うほどの隔たりを感じてはいない。テレビはタダで見られるからいつまでも見るように、携帯もタダだからあなたと繋いでおこうと思うのは当然の欲求からくる帰結なのではないか。
青少年達は大人が思っているほど寂しさや不安なんか感じていないと思うのは、果たして厳しすぎることだろうか。







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