Choose Day Choose Life
ニートの19歳女の子を札幌『紀伊国屋』に連れてったら感動して泣かれた話
(ホームページを作る人のネタ帳より)
書店に行くよろこび。
膨大な数の書物の中から、自らのインスピレーションに従って
手に取るという行為。
ページをめくり、自己の価値観と対話する。その意識の動き。
吟味し、決断し、レジへと向かう。あるいは書架に戻す。
これらの感覚は決して、ネット上では味わえない。
自分で選びとる。
何のフィルターも通すことなく。
もちろん書店には各書店の「品揃え」というフィルターはかかり、
書物そのものにも出版社等のフィルターは幾重にもかかっているが。
大切なのは、店舗ではどれもが同じように「並列」してあるということ。
この並列という環境を整えるのが難しい。
ブラウザ上では、まず無理だと思う。
選ぶという行為は、現代において最も基本的な社会的活動のひとつだと思う。
それ以前は「つくる」という行為だったが、ゼロから何かをつくりあげる
という体験を日常生活で得ることが難しくなってしまった。
その代替として、我々はつねに“選んで”いる。
選ぶことがすなわち、自らのアイデンティティの維持につながる。
人生の大半が、取捨選択でまかなわれている。
ネットで手に入る情報には、多かれ少なかれ何らかの形でバイアスが
かかっている。おすすめ品にはおすすめする人の思い入れや思惑が。
画像や動画でさえ油断できない。巧妙な編集の手が加えられている
場合もある。それは善意であろうが悪意であろうが関係ない。
ネット社会に生きるものは、それらを選別する「目」が必然的に
養われる。そうでないと場合によっては大変な目にあうことを
経験上知っている。
自分で自分をフィルタリングするということ。
自らの価値観を守るために、無意識に身につける防衛術。
だがともすれば自らの身を守るはずの知恵が、自らを苦しめる結果に
陥ることもある。
現代人は世の中に溢れる膨大な数の選択肢をひとつひとつ削る作業に
日々追われていて、ほとほと疲れ切っているのではないか。
可能性という名の選択肢の範囲を狭めていった結果、何処へも向かうことが
できなくなっているのでは。
書店(あるいは図書館)という施設が、その袋小路を打開するための
きっかけになるのかどうかはわからない。
それは人それぞれの日頃の「情報」への向き合い方による。
情報について関心がない人は、本屋へも図書館へも行かない。
ともあれ書店は、ワンダーランドだ。
私はかつて何時間でも本屋で時間をつぶすことができたが、今はさすがに
長時間の立ち読みが体力的に難しくなってきた。特に腰がつらい。
店舗によっては「座り読み」ができたり、清算前の書物を店内の喫茶室に
持ち込むことができる場合もあるようだが、そこまでするのも気がひける。
書店はふらりと「立ち寄る」というスタンスがいちばん好ましいと思う。
情報の受け取り方うんぬんよりもまず、書物を手に取りぱらぱらと
めくるという一種の「快楽」を、もっと多くの人々に親しんでほしい。
あの感覚がある限り、いくらネットワークが発達しようとも書物の文化が
廃れることはない。
情報快楽主義者でいこう。
(ホームページを作る人のネタ帳より)
書店に行くよろこび。
膨大な数の書物の中から、自らのインスピレーションに従って
手に取るという行為。
ページをめくり、自己の価値観と対話する。その意識の動き。
吟味し、決断し、レジへと向かう。あるいは書架に戻す。
これらの感覚は決して、ネット上では味わえない。
自分で選びとる。
何のフィルターも通すことなく。
もちろん書店には各書店の「品揃え」というフィルターはかかり、
書物そのものにも出版社等のフィルターは幾重にもかかっているが。
大切なのは、店舗ではどれもが同じように「並列」してあるということ。
この並列という環境を整えるのが難しい。
ブラウザ上では、まず無理だと思う。
選ぶという行為は、現代において最も基本的な社会的活動のひとつだと思う。
それ以前は「つくる」という行為だったが、ゼロから何かをつくりあげる
という体験を日常生活で得ることが難しくなってしまった。
その代替として、我々はつねに“選んで”いる。
選ぶことがすなわち、自らのアイデンティティの維持につながる。
人生の大半が、取捨選択でまかなわれている。
ネットで手に入る情報には、多かれ少なかれ何らかの形でバイアスが
かかっている。おすすめ品にはおすすめする人の思い入れや思惑が。
画像や動画でさえ油断できない。巧妙な編集の手が加えられている
場合もある。それは善意であろうが悪意であろうが関係ない。
ネット社会に生きるものは、それらを選別する「目」が必然的に
養われる。そうでないと場合によっては大変な目にあうことを
経験上知っている。
自分で自分をフィルタリングするということ。
自らの価値観を守るために、無意識に身につける防衛術。
だがともすれば自らの身を守るはずの知恵が、自らを苦しめる結果に
陥ることもある。
現代人は世の中に溢れる膨大な数の選択肢をひとつひとつ削る作業に
日々追われていて、ほとほと疲れ切っているのではないか。
可能性という名の選択肢の範囲を狭めていった結果、何処へも向かうことが
できなくなっているのでは。
書店(あるいは図書館)という施設が、その袋小路を打開するための
きっかけになるのかどうかはわからない。
それは人それぞれの日頃の「情報」への向き合い方による。
情報について関心がない人は、本屋へも図書館へも行かない。
ともあれ書店は、ワンダーランドだ。
私はかつて何時間でも本屋で時間をつぶすことができたが、今はさすがに
長時間の立ち読みが体力的に難しくなってきた。特に腰がつらい。
店舗によっては「座り読み」ができたり、清算前の書物を店内の喫茶室に
持ち込むことができる場合もあるようだが、そこまでするのも気がひける。
書店はふらりと「立ち寄る」というスタンスがいちばん好ましいと思う。
情報の受け取り方うんぬんよりもまず、書物を手に取りぱらぱらと
めくるという一種の「快楽」を、もっと多くの人々に親しんでほしい。
あの感覚がある限り、いくらネットワークが発達しようとも書物の文化が
廃れることはない。
情報快楽主義者でいこう。







コメントを書く