グロはエロである

マティス(右)/ルオー(左)

NHK『新日曜美術館』を観た。
今回は『親愛なる友へ- ルオーとマティス 照らしあう2つの星と題され、フランスが生んだ二人の偉大なる芸術家の心の交流の軌跡を追っている。

ジョルジュ・ルオーアンリ・マティスはパリの美術学校で知り合って以来、その生涯に渡って
深い友情を育むが、面白いことに二人の絵画の作風はまったくの正反対。

ルオーは絵の具を幾重にも重ねることで人物に荘厳な深みと迫力を涌現させる
力強い手法で、主に宗教絵画の分野で名声を博した。一方マティスは自由で
伸び伸びとした構図と色彩を存分に発揮した華やかな印象の作風で人気を成した。

作風には共通点の見られない二人だが、お互いを深く尊敬し、相手の作品を
愛した。マティスはある時ルオーの作品を一時的に自宅に預かることになったが、
手紙に「この作品を飾れることは私の最大の喜びだ」と書いたという。

人は一般的に、自分の持たない要素を備えた人間に魅力を感じる。
正反対であるからこそ、強く惹かれるものなのかもしれない。
ないものねだりで一生を過ごすのが人間という動物である。

彼らが頻繁に交わした手紙の中に、印象的なフレーズがあった。

黒は色である」。

黒という色もまた、他の色、赤や黄や紫などと同様に、色彩のひとつなのだ。
ごく当たり前のことなのだが、私はハッとした。

我々は、黒や白を、特別視していないか。
色彩が「ない」ものと捉えていないか。
色彩の範疇に加えることを、無意識のうちに避けていないか。

ルオーやマティスはその点に気づいていた。
そして黒を大胆に使用する。
ルオーはその大きな特徴である太い輪郭線において。
マティスは背景を黒で塗りつぶすことによって、逆に「光」を感じさせる
作品を残している。
また「黒」は、当時の画壇の主流であった印象派の面々が、極力排除してきた
色であった。彼らへの反発にも起因するものであろう。

闇の存在が、光を光たらしめる。
これまでにも何度か書いているが、あらためてその思いを深くした。

黒や白もまた色彩。
使うことを恐れてはならない。
むしろ他のどの色よりも強く、美しい。

それだけに、使いこなすのは難しいが。
使わないのは、本当の意味で「色を見ていない」ということにつながる。
表現に、無意識に制限を設けてはならない。

「黒は色である」という言葉は、後に開催された二人の回顧展において
タイトルにも採用されたことがあるそうだ。
それだけ、彼らの本質を突いた名言であるといえるかもしれない。

表現を追究した二人の勇者は、数々の困難や戦乱を乗り越え、その友誼を固く
結び続けた。
お互いを時に励まし、時に刺激しあう存在。

手法は違っても、彼らはきっと同じ「光」を見ていたのだろう。

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