ウェブの夜明けは近いぜよ
幕末古写真ジェネレータ(Wanokoto Labs)
どんな画像データでも幕末の古写真的肌合いに加工するWebサービス。
この粗い解像度と色合いが、時の流れをまんまと見誤らせてしまう。
今回は試しに、わざと現代的な画像を何か選んでジェネレートしてみよう。
古風な被写体ならマッチするのは当然。現代の風景がいかに現代から遠ざかるか、その度合によってこのサービスの真の力量を知ることができるというものだ。
当obsqrでもしばしば利用している無料写真素材サイト足成(あしなり)から
拾ってみる。
摩天楼などの建造物はいかにも現代を象徴していてわかりやすいかもしれないが、
できれば人物が写っている写真の方が画像として“目を引きやすい”ので
「人物」のカテゴリーから「人々」へ入っていく。
エスカレーターと男性
ふむ。これなど良いかもしれない。
少なくとも幕末の頃にはエスカレータなど存在しなかったはずだ。
この過剰な照明と、何処へつながるとも知れない謎の下り階段が近未来的な不安を
煽る。いかにも現代的。
これを当該ジェネレータにかけてみると、こうなる。
幕末というよりも、昭和30年代の新聞記事のような風合いになってしまった。
『国内初の自動式移動階段、大手百貨店に出現』みたいな。
偶然ながら後ろ姿の男性の服装も何やら大陸からの行商人といった風情に見えて
くるから不思議なもので。
劇的な変化とまではいかないものの、タイムレスな感覚を与えることには違いない
ようだ。やはり素材によって効果は大きく異なる。
カメラ黎明期の頃の古い写真には、なぜあんなに味わい深いトーンに満ちて
いるのだろう。
今日でいうところの画像データとしての情報量は、きわめて貧弱であるのに。
画像情報以外の「付加的要素」が多分に盛り込まれているためではなかろうか。
情報が限定的であるからこそ、浮かび上がってくるものもある。
そこが写真という分野の大きな“特性”のひとつだと思う。
写真は多くを語るが、多くを語らないことで、相手を惹き付けるという手法もある。
私は古参のMacユーザでありながら、その最も代表的キラーソフトであったAdobe
Photoshopの扱いには不得手である。
どちらかといえば、これまで意図的に使用を避けてきた傾向がある。
私の中ではMacと画像処理が長らく結びついていなかった、のだと思う。
必要性を感じていなかったし、興味も湧かなかった。
ごく最近になって日常的に使い始めたが、ごく簡単な画像編集の範疇に留まって
いる。無意識に距離を置いているのかもしれない。深みにはまらないように。
Photoshopという偉大なるソフトの無限に近い可能性に、畏怖の念を抱いている
のかもしれない。もったいないといえばもったいない話だが、これは感覚的な
ものなので自分ではどうしようもない。
上記の幕末古写真ジェネレータは、仕組みはわからないが、長年をかけて
Photoshopが提供してきた数々の技術の蓄積なしには成立しなかったものだろう。
Photoshopは、画像素材に「付加価値」を加えるためのソフトである。
現代における画像データは、多くを語り過ぎる。
限られた解像度の中で詰め込めるだけの情報を詰め込もうとする。
「情報」としての効果は絶大だが、それらは旧来のいわゆる「写真」とは
似ていて非なるものなのだと思う。
私がPhotoshopの分野に足を踏み入れるのにいまだに逡巡しているのは、ひょっと
したら「写真」への思い入れが強いせいかもしれない。
写真素材に手を加えることへの抵抗感。
写真は撮ったままの状態がいちばん望ましいという原理主義的発想。
中学の頃にニコンの一眼レフカメラを手にしてから、私は写真という表現形態の
魅力と可能性に打ちのめされてきた。それを今日に至るまで引きずっている
のかも。
目に見えるものすべてが真実とは限らない。
だが「見せる」ものに関しては誠実でありたい。
そんな幻想を抱いている。
凝り固まった頭で。
元ネタ:幕末古写真ジェネレータで時空の旅(ライフハッカー[日本版]より)
手にとるように幕末・維新がわかる本


加来 耕三
Amazonで詳しく見るby G-Tools
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この粗い解像度と色合いが、時の流れをまんまと見誤らせてしまう。
今回は試しに、わざと現代的な画像を何か選んでジェネレートしてみよう。
古風な被写体ならマッチするのは当然。現代の風景がいかに現代から遠ざかるか、その度合によってこのサービスの真の力量を知ることができるというものだ。
当obsqrでもしばしば利用している無料写真素材サイト足成(あしなり)から
拾ってみる。
摩天楼などの建造物はいかにも現代を象徴していてわかりやすいかもしれないが、
できれば人物が写っている写真の方が画像として“目を引きやすい”ので
「人物」のカテゴリーから「人々」へ入っていく。
エスカレーターと男性
ふむ。これなど良いかもしれない。
少なくとも幕末の頃にはエスカレータなど存在しなかったはずだ。
この過剰な照明と、何処へつながるとも知れない謎の下り階段が近未来的な不安を
煽る。いかにも現代的。
これを当該ジェネレータにかけてみると、こうなる。
幕末というよりも、昭和30年代の新聞記事のような風合いになってしまった。
『国内初の自動式移動階段、大手百貨店に出現』みたいな。
偶然ながら後ろ姿の男性の服装も何やら大陸からの行商人といった風情に見えて
くるから不思議なもので。
劇的な変化とまではいかないものの、タイムレスな感覚を与えることには違いない
ようだ。やはり素材によって効果は大きく異なる。
カメラ黎明期の頃の古い写真には、なぜあんなに味わい深いトーンに満ちて
いるのだろう。
今日でいうところの画像データとしての情報量は、きわめて貧弱であるのに。
画像情報以外の「付加的要素」が多分に盛り込まれているためではなかろうか。
情報が限定的であるからこそ、浮かび上がってくるものもある。
そこが写真という分野の大きな“特性”のひとつだと思う。
写真は多くを語るが、多くを語らないことで、相手を惹き付けるという手法もある。
私は古参のMacユーザでありながら、その最も代表的キラーソフトであったAdobe
Photoshopの扱いには不得手である。
どちらかといえば、これまで意図的に使用を避けてきた傾向がある。
私の中ではMacと画像処理が長らく結びついていなかった、のだと思う。
必要性を感じていなかったし、興味も湧かなかった。
ごく最近になって日常的に使い始めたが、ごく簡単な画像編集の範疇に留まって
いる。無意識に距離を置いているのかもしれない。深みにはまらないように。
Photoshopという偉大なるソフトの無限に近い可能性に、畏怖の念を抱いている
のかもしれない。もったいないといえばもったいない話だが、これは感覚的な
ものなので自分ではどうしようもない。
上記の幕末古写真ジェネレータは、仕組みはわからないが、長年をかけて
Photoshopが提供してきた数々の技術の蓄積なしには成立しなかったものだろう。
Photoshopは、画像素材に「付加価値」を加えるためのソフトである。
現代における画像データは、多くを語り過ぎる。
限られた解像度の中で詰め込めるだけの情報を詰め込もうとする。
「情報」としての効果は絶大だが、それらは旧来のいわゆる「写真」とは
似ていて非なるものなのだと思う。
私がPhotoshopの分野に足を踏み入れるのにいまだに逡巡しているのは、ひょっと
したら「写真」への思い入れが強いせいかもしれない。
写真素材に手を加えることへの抵抗感。
写真は撮ったままの状態がいちばん望ましいという原理主義的発想。
中学の頃にニコンの一眼レフカメラを手にしてから、私は写真という表現形態の
魅力と可能性に打ちのめされてきた。それを今日に至るまで引きずっている
のかも。
目に見えるものすべてが真実とは限らない。
だが「見せる」ものに関しては誠実でありたい。
そんな幻想を抱いている。
凝り固まった頭で。
元ネタ:幕末古写真ジェネレータで時空の旅(ライフハッカー[日本版]より)
手にとるように幕末・維新がわかる本

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