職場としての戦場

戦場

アフリカで暗躍してきた「雇い兵」たちAFPBB Newsより)

傭兵(ようへい)という職業がある。
金銭で雇われて戦闘に参加する兵士のこと。
つまり戦争(紛争)地帯が彼らの職場であり、請われるがままに戦地を求めて
世界中を転々とする。政治的な理念などは一切ない。金を払う側に味方する。
有名なフランス外人部隊などはある意味由緒正しい傭兵集団なのだが、所属して
いる限りはフランス人と同等の権利が与えられるので彼らを「傭兵」とは呼ばない
らしい。このあたりにも「戦争」というもののタテマエ的な部分が見え隠れする。

現代の戦争は、イデオロギーとは無縁である。
そのほとんどが、経済的な思惑に起因するものであり。
金の流れにともない、人も動く。
要するに、通常の経済活動と何ら変わりないわけで。
いわば世界中のどこでも「戦場」となり得るし、どこでも傭兵が活躍する舞台と
なり得る。

我々は社会という戦場に身を投じ、戦果を上げることで生き長らえる。
彼ら傭兵とどこが違うというのだろう。
我々が属しているのは、何か。
国家か。民族か。信念か。それとも自分自身か。

日本人の傭兵は、実際に存在する。
今後、ますます増えていくことだろう。
ともすれば利害を超え、「生きがい」という名のまぼろしを糧にして。
彼らを止めることができるだろうか。

たぶん日本人は、軍人にもっとも向いている民族だと思う。
いにしえの「武士」はいわば傭兵であった。
サムライ魂などというイメージの力を借りれば、銃弾の飛び交う中を突っ込んで
いくことも“美学”にすり替えることができる。自分の中の「人間性」を欺く術を
伝統的に知っている。正義という概念は、それぞれの都合に味方する。


“援助ブーム”で潤う ダルフールの街角からCOURRiER Japon + hitomediaより)

紛争の舞台となった地に海外からの援助の人々が集うことによって街の経済が潤う。
この事態をどう受け止めるべきか。
地元の人々にとって紛争とは何だったのだろう。
彼らは幸せに近づいたのだろうか。雨降って地が固まったのだろうか。
それとも、この事態そのものが幻想なのか。

争いが、金を呼ぶ。
北朝鮮などはそれをよく知っている。
何もない場所で手っ取り早く経済を回すには、火種を起こすこと。
ハッタリでも何でも構わない。
人が集まれば、金が集まる。

経済へのテコ入れとしての戦争は、日本でもたびたびあった。
世界中が経済面で疲弊している現代において、戦争への誘惑を断ち切るのは難しい。

形ばかりの平和を謳歌する、我が国。
ひとたび火種を持ち込めば、たちまち燃え広がるかもしれない。

世の中は、乾燥している。


参考:傭兵と日本Dr Blueより)




外人部隊の日本兵宮下 洋一

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