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「痕跡本」ってなに?
@nifty : デイリーポータルZより)

元の持ち主の痕跡が残る本のことを「痕跡本」と呼ぶのだそうだ。
書き込みとか、ページの切り抜き、挟まれたり貼付けられたメモなど。
そんな所有(:使用)の痕跡から、持ち主の人物像などに思いをめぐらせる。
そういう楽しみ方があるらしい。

読みながらつい傍線を引いてみたり、思いついたことを書き込んでみたり。
そういうことをほとんど何の思慮もなしにやってしまう人は、確かにいる。
たとえその本が借り物であったとしてもおかまいなし。
これは迷惑千万な話で、ひどい時にはミステリーや推理ものの内容で
序盤から登場人物の名前に「犯人はコイツ」などとご丁寧に書き込まれて
いたりする。嫌がらせとしか考えようがない。

一般的にはそんな「嫌われる」作法に染められた書物も、やがて持ち主の手を
離れ、流れ流れて縁もゆかりもない人のもとへと渡る。
両者の間に存在する唯一の共通点といえば、その本を手に取ったこと。
その本(の内容)に興味を示した、ということ。
いわば同じ方角を見ている。
顔も名前も知らない(名前が書いてある書物も中にはあるが)、でもどこかに
存在する(した)人。その感情や思索の痕がありありと窺える。
情報に手が加えられるのは不愉快だが、情報そのものをひとまず度外視して
「痕跡」にスポットライトを当てた時。
そこに人間らしい豊かなドラマが立ちのぼってくる。

私は、中古品が好きだ。
書物の使用感ありありなのは困るが、たとえば楽器やPC機器など。
ネットオークション等を利用して、しばしば購入する。
そして届いた品物から、前使用者がどういう使い方をしていたかを
推測するのが楽しみのひとつである。
私は利用したことがないが、フリーマーケットなら、情報はもっと確実だ。
何せ持ち主自身から直に手渡しされるわけだから。
リサイクルショップの店頭などで売られる際には、その使用の痕跡は
当然ながら店側の手によって巧妙に消されてはいるが、細かいところまでは
手が及んでいないことも多い。
PCなら筐体を開けてみた時、HDの表面に「150GB、Dディスク」などと
鉛筆で書かれているのを見つけて、ひとりほくそ笑んでいたりする。

中古品には、それぞれのストーリーがある。
持ち主と共に過ごした時間が、どんなものにも必ず刻まれている。
その一端を垣間見るのが、好きなのだ。

レッド・バイオリン』という映画がある。
1600年代に製作された1本の赤いヴァイオリンが、4世紀に渡って
世界中の人々の手に渡り、また手放されていくという壮大な過程を
追った人間ドラマ。

電子機器ではそんなに長期間の使用にはたえられないが、楽器ならあり得る。
楽器には「魂」が宿る、と私は信じている。
楽器はつねに人間の生活に寄り添い、時に笑い、時に泣く。
その「共に過ごした時の流れ」は、最大限に尊重したいと思う。
それが楽器の価値を育むのだ。

話を「痕跡本」に戻す。

上記の記事では、一般的には単なる迷惑行為であっても、場合によっては
さらなる「付加価値」を与えることにもつながる、ということがいえる。
もちろん著者自身によるサイン本などは、その最もわかりやすい例だが。

名もない人々による、無意識の(無作為の)行動。
そこに面白みを見いだす、というのは新たな価値の創造だと思う。
中古書物の新たな楽しみ方を提示する。
もはや書物そのものは、単なる付帯情報に過ぎない。

人間がいた、ということ。
それぞれの立場で書物に向かい、考え、感じた。その記録。

クローズド・ノートという映画が頭に思い浮かぶが、あまり触れたくないので
ここでは採り上げない。

本に書き込むな、と頭ごなしに禁じるのも、これからは難しくなってくる
かもしれない。
もちろん書物は大切に扱ってほしいところだが。

そこからまた「新たなもの」が生まれるとなれば、抑える理由はない。

生きていることそのものが、クリエイティヴな行為なのだ。


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