さすらいベンチピープル

野宿

終電を逃しても困らない野宿の作法とは?
R25.jpより)

野宿野郎』という雑誌があることにまず驚いた。
人生をより低迷させる旅コミ誌、というキャッチフレーズらしい。
その開き直り具合が心地良い。
おそらくは「野宿やろう」という誘いの言葉をもじったものだと思う。
で、面と向かって誘うのはちょっと気がひけるので視点を変えて
“俺が野宿野郎だ、おまえはどうだ”と勢いに巻き込む作戦に出たのだろう。
大胆な中にもシャイな一面が窺えて面白い。
ちなみに「俺が」と書いたが編集長さんはどうやら女性であるようだ。
そういう意味でも開き直っている。ここによると職業は介護ヘルパーだそうだ。
なんとなく頷ける。

野宿の経験は、私にもある。
5〜6年前だ。川崎市内に住んでいた頃。
当時の会社の寮と職場との間は、JRと私鉄を乗り継いで1時間弱ぐらい
かかっていた。ちょうど派遣先を切り替わる時期で、場つなぎの職場。
残業をようやく終えて夜遅く帰り着いた私は、部屋の前まで来てポケットの中を
まさぐるが、鍵が見つからない。
職場のロッカールームに置いてきてしまったようだ。
取りに戻ろうかとも考えたが、そうすると終電がなくなってしまう。
この寮は一般のワンルームマンションを会社が部屋単位で借り上げたもので、
隣は誰が住んでいるかわからない。ちょっと泊めて、というわけにもいかない。
もちろん管理人もいない。漫喫等を利用するにも、懐具合が心許ない。
力になってくれそうな友達もいない。だいいち連絡先がわからない。
窓ガラスを叩き破って入ろうか。でも後が面倒なことになる。
腹を決めて、外で寝ることにした。寒い時期だった。11月の終わりくらい。
厳密に言えば野宿というより「閉め出された」形である。自分自身に。

最初は近くにある神社というか祠のような建物の軒先に身を横たえてみた。
古い板張りはそれなりにぬくもりも感じられたが、どうにも落ち着かない。
彷徨ったあげく、結局は寮に戻って、自分の部屋(一階の角部屋だった)の
外壁に沿ってなぜか置かれていたスチール製の事務用収納棚の上に、寝た。
靴を枕にして、着ていたコートにくるまって。
すぐ横には隣の民家の壁が迫っているが、圧迫感はない。
星空が見えた。しばらくぼんやり眺めていた。
スチール棚の上は狭いし冷たいのだが、やがて慣れたのか、眠ってしまった。
翌朝早く目が覚めて、何食わぬ顔でそのまま出勤した。
鍵はやはりロッカー内の作業着のポケットに入ってた。

その程度のことだ。
まったく土地勘のない右も左もわからない旅先のベンチで寝る、などという
芸当はさすがにできないと思う。そんな度胸はない。きっと眠れない。

野宿は体力うんぬんよりも、精神力の方を求められる。
精神力というより、ずぶとい神経、というべきか。
そしてなおかつ、周囲に気を配るだけの繊細さも必要。
と書くと何やら「禅」の香りがするが。
ひょっとしたら本当にそうなのかもしれない。
いにしえの僧侶が旅に出て草を枕にするのは「修行」のため。
自己と向き合う、ということではないか。

野宿は、環境に左右されるものではなく。
自分自身との闘いに尽きるのかもしれない。
その結果、どこでも眠れるようになる。
「自」が消えて「他」と一体化する。
これこそが仏の道の本質とはいえまいか。

駅や公園のベンチでこんこんと眠りについている人々は。
我々の目からするとだらしなく映るが、ひょっとしたら凡人の想像も
及ばないほどに凄まじく高尚な精神修養を実行しているのではないか。
彼らは、達観しているのではないか。

もしそういう考えが世の中の主流になれば、人々は次々と家を捨て、
漂泊の旅に出るのかもしれない。

本当に野宿ブームが来たら、どうしよう。


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