時差を楽しむ
メールを三日後とかに返信する人って何なの?(日刊スレッドガイドより)
もはや信じてもらえないかもしれないが。
その昔インターネットメールには、送信から受信までの間にとてつもない
タイムラグが発生することがたびたびあった。
届くまでに数日かかったりとか。時には紛失してしまうことも。
後から送ったメールが順番を追い越して、先に届いてしまったり。
当時はまだネットワーク設備も脆弱なもので。
様々なサーバを経由するうちにトラブルに巻き込まれてしまうケースも
多々あったと思われる。電子メールの信頼性は低く、ビジネスでは使えない、
というのが一般的な認識であった。
それでも人々は、そんなもんさ、と割り切って使っていた。
むしろ遅れたり届かなかったりすることに「情緒」を感じる向きもあった
かもしれない。文字通り「良い加減」であったわけだ。
それよりも、その便利さ。
アドレスひとつで、地球の裏側までも届く。
そこに未来の息吹を感じたものだ。
私は今でも、インターネットの最大の利点は電子メールにあると思う。
時は流れて。
メールは瞬時に届いて当たり前、遅れるなんてとんでもない。
すわサーバトラブルだ復旧だお詫びしろどうしてくれる、と。
情緒もへったくれもない。ところでへったくれって何。
すぐに反応が返ってくるのであれば、すぐにこちらも反応せねば。
かくして人々は、システムに急き立てられることになる。
マシンやネットワークの性能に、人間が合わせていく。
人々の生活を豊かにするための設備が、人々を苦しめる。
便利になったはずの世の中に、息苦しさや苦しみを感じる。
未来とは、テクノロジーだけでなく、人間の進化をも要する。
使う側が進歩しなければ。
テクノロジーはその行く末を見失う。
メールを「送らない」というのもコミュニケーションのひとつだと思う。
逆説的だが。
間(ま)を取る、という行為が会話の際にも有効に働くことがある。
意図的に多用するのは、逆効果につながるが。
人にはそれぞれのタイム感がある。
それをきっちり守れる人こそが“現代人”と呼べるのではないか。
遅れてすみません、などと謝る必要などない。
いつでも好きな時に送れるのが本来のメールの利点であるはず。
そして受ける側は、いつまでも当てにしないで待つ。
それが現代における情緒だ。
我々はメール文化を大切に育てていかねばならない。
次の世代のためにも。
もはや信じてもらえないかもしれないが。
その昔インターネットメールには、送信から受信までの間にとてつもない
タイムラグが発生することがたびたびあった。
届くまでに数日かかったりとか。時には紛失してしまうことも。
後から送ったメールが順番を追い越して、先に届いてしまったり。
当時はまだネットワーク設備も脆弱なもので。
様々なサーバを経由するうちにトラブルに巻き込まれてしまうケースも
多々あったと思われる。電子メールの信頼性は低く、ビジネスでは使えない、
というのが一般的な認識であった。
それでも人々は、そんなもんさ、と割り切って使っていた。
むしろ遅れたり届かなかったりすることに「情緒」を感じる向きもあった
かもしれない。文字通り「良い加減」であったわけだ。
それよりも、その便利さ。
アドレスひとつで、地球の裏側までも届く。
そこに未来の息吹を感じたものだ。
私は今でも、インターネットの最大の利点は電子メールにあると思う。
時は流れて。
メールは瞬時に届いて当たり前、遅れるなんてとんでもない。
すわサーバトラブルだ復旧だお詫びしろどうしてくれる、と。
情緒もへったくれもない。ところでへったくれって何。
すぐに反応が返ってくるのであれば、すぐにこちらも反応せねば。
かくして人々は、システムに急き立てられることになる。
マシンやネットワークの性能に、人間が合わせていく。
人々の生活を豊かにするための設備が、人々を苦しめる。
便利になったはずの世の中に、息苦しさや苦しみを感じる。
未来とは、テクノロジーだけでなく、人間の進化をも要する。
使う側が進歩しなければ。
テクノロジーはその行く末を見失う。
メールを「送らない」というのもコミュニケーションのひとつだと思う。
逆説的だが。
間(ま)を取る、という行為が会話の際にも有効に働くことがある。
意図的に多用するのは、逆効果につながるが。
人にはそれぞれのタイム感がある。
それをきっちり守れる人こそが“現代人”と呼べるのではないか。
遅れてすみません、などと謝る必要などない。
いつでも好きな時に送れるのが本来のメールの利点であるはず。
そして受ける側は、いつまでも当てにしないで待つ。
それが現代における情緒だ。
我々はメール文化を大切に育てていかねばならない。
次の世代のためにも。





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