サイレントなイベント
サマソニにヘッドホンで楽しむ無音ディスコ登場(ナタリーより)
SUMMER SONIC(サマソニ)は今や日本の夏の風物詩となった音楽イベント。
2000年から開催されている。私が参加したのは2001年の08月18日、千葉マリン
スタジアム。強烈な海風(とその影響による気候変動)に驚いた記憶がある。
日本におけるもうひとつの大規模音楽フェスティバルであるフジロックは開催地が郊外(海外の音楽フェスの伝統を踏襲しているものと思われる)であるため、
天候の激変などによる環境の劣悪化で毎回のように阿鼻叫喚の様相を呈するのが
恒例となっているわけだが、それに対してサマソニは都市部で開催されることが
ほとんどなので比較的気軽に参加しやすい。
同じ音楽イベントだが傾向がまるっきり違う。
私は願わくば「快適に」音楽を楽しみたいと思うので、サマソニの方に魅かれる。
フジロックは音楽を「体験」することの喜びを味わいたい人向けだといえよう。
私個人はさすがに雨でずぶ濡れになったりぬかるみで泥だらけになったりしてまで
「体験」を欲してはいない。
さて、今年のサマソニでは“サイレント・ディスコ”なる趣向を予定しているようだ。
一般的なコンサート会場において観客にヘッドフォンを持ち込ませるスタイルは
過去に誰かがやっていたような記憶があるが、大規模フェスでこれを実行する
ところがなかなかに画期的だ。
聴衆には音楽と「個人的に」向き合いたいというニーズがあるのかもしれない。
あるいはハレの場であるイベントにおいても日常での視聴環境に近づけたい、
という欲求があるのか。
その心理はただ推し量るしかできないが、現代人の音楽に対するスタンスが
従来に比べて劇的に変わりつつあるのは事実だろう。
ひょっとしたらiPodの影響が、それに関与しているかもしれない。
だが、人間が音を感じ取るのは、耳だけではない。
私がいわゆるライヴに足を運ぶのは、音を耳以外で感じたいと願うからだ。
強烈な波動を、全身で受け止める。圧倒的な音圧。
そういう機会は最近めっきり少なくなった。
大音量が、公害であるという認識も広まっている。
ましてや現代はエコロジーの脅迫観念花盛り。
伝統に当てはまらない形式の祭りは、単なる無駄な消費活動としてしか認識されない。
しかしもはや現代人は、消費活動においてしか、喜びを感じなくなっているのだ。
そこをきちんと受け止めなければならない。
一般的な概念で「無駄」だと思われる事柄にこそ価値がある。
壮大な無駄の中から、宝石は掘り出される。
ヘッドフォンは音をデータとして、脳に直接放り込む機器だと思う。
いわば、ダイレクトにオンライン接続するような感覚。
それに対して音楽イベントは、音を五感で受け止めるための貴重な場。
そこで発せられる情報は必ずしも音だけではない。
喧騒。歓声。照明。振動。熱気。匂い。
だがオンライン派にとっては、それらの要素は邪魔だと感じることもあるのかも
しれない。ピュアな状態でデータを受信したい。体感よりも脳感。
それは決して悪いことではないが、同時に見ず知らずの複数の人間と何かを共有
する喜びを捨ててしまうのは、あまりにもったいない気がする。
音楽がコミュニケーションの手段であることは間違いない。
ただ、音楽を介しての「関係性」が移り変わっているのではないか。
発信者と受信者。1対1。
他者が介入する余地はない。
それも確かに音楽の楽しみ方のひとつだが。
音楽そのものが持つ可能性を、狭めているようにも思える。
感じるのは、そこだけじゃないでしょ。ねえ。
ヘッドフォンブック 2008―音楽ファンのための厳選ヘッドフォン132モデル徹底ガイド (2008) (CDジャーナルムック)

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2000年から開催されている。私が参加したのは2001年の08月18日、千葉マリン
スタジアム。強烈な海風(とその影響による気候変動)に驚いた記憶がある。
日本におけるもうひとつの大規模音楽フェスティバルであるフジロックは開催地が郊外(海外の音楽フェスの伝統を踏襲しているものと思われる)であるため、
天候の激変などによる環境の劣悪化で毎回のように阿鼻叫喚の様相を呈するのが
恒例となっているわけだが、それに対してサマソニは都市部で開催されることが
ほとんどなので比較的気軽に参加しやすい。
同じ音楽イベントだが傾向がまるっきり違う。
私は願わくば「快適に」音楽を楽しみたいと思うので、サマソニの方に魅かれる。
フジロックは音楽を「体験」することの喜びを味わいたい人向けだといえよう。
私個人はさすがに雨でずぶ濡れになったりぬかるみで泥だらけになったりしてまで
「体験」を欲してはいない。
さて、今年のサマソニでは“サイレント・ディスコ”なる趣向を予定しているようだ。
一般的なコンサート会場において観客にヘッドフォンを持ち込ませるスタイルは
過去に誰かがやっていたような記憶があるが、大規模フェスでこれを実行する
ところがなかなかに画期的だ。
聴衆には音楽と「個人的に」向き合いたいというニーズがあるのかもしれない。
あるいはハレの場であるイベントにおいても日常での視聴環境に近づけたい、
という欲求があるのか。
その心理はただ推し量るしかできないが、現代人の音楽に対するスタンスが
従来に比べて劇的に変わりつつあるのは事実だろう。
ひょっとしたらiPodの影響が、それに関与しているかもしれない。
だが、人間が音を感じ取るのは、耳だけではない。
私がいわゆるライヴに足を運ぶのは、音を耳以外で感じたいと願うからだ。
強烈な波動を、全身で受け止める。圧倒的な音圧。
そういう機会は最近めっきり少なくなった。
大音量が、公害であるという認識も広まっている。
ましてや現代はエコロジーの脅迫観念花盛り。
伝統に当てはまらない形式の祭りは、単なる無駄な消費活動としてしか認識されない。
しかしもはや現代人は、消費活動においてしか、喜びを感じなくなっているのだ。
そこをきちんと受け止めなければならない。
一般的な概念で「無駄」だと思われる事柄にこそ価値がある。
壮大な無駄の中から、宝石は掘り出される。
ヘッドフォンは音をデータとして、脳に直接放り込む機器だと思う。
いわば、ダイレクトにオンライン接続するような感覚。
それに対して音楽イベントは、音を五感で受け止めるための貴重な場。
そこで発せられる情報は必ずしも音だけではない。
喧騒。歓声。照明。振動。熱気。匂い。
だがオンライン派にとっては、それらの要素は邪魔だと感じることもあるのかも
しれない。ピュアな状態でデータを受信したい。体感よりも脳感。
それは決して悪いことではないが、同時に見ず知らずの複数の人間と何かを共有
する喜びを捨ててしまうのは、あまりにもったいない気がする。
音楽がコミュニケーションの手段であることは間違いない。
ただ、音楽を介しての「関係性」が移り変わっているのではないか。
発信者と受信者。1対1。
他者が介入する余地はない。
それも確かに音楽の楽しみ方のひとつだが。
音楽そのものが持つ可能性を、狭めているようにも思える。
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