拳が空を切る

少林寺

●少林寺が株式上場! 少林寺観覧車に少林寺ホテルも登場![海外]
INTER Newsより)

少林寺という固有名詞は、もはやブランドである。
今となっては固有名詞であると定義することさえ難しい。
誰もその実態を把握できないほどに大きな、大きな存在と化してしまった。

少林寺において武術が発展した主な理由は。
殺伐とした世において迫害を受けることも多かった僧侶等が
自らの身を守る必要性に迫られたため、とされている。

その頃ひたすら修行に励み、腕を磨いてきた法師たちが。
戦乱に巻き込まれ無念にも命を落としてきた英雄たちが。
もし現状を目にしたら、どういう感想を抱くだろうか。

現在、彼らが闘っている相手は、目に見えない。
経済という名のまぼろし。
名誉という名の怪物。
伝統という名の魔物。
それらは拳の力で打ち砕けるものではない。
むしろそれよりもはるかに厄介な敵である。

だが雑念を払い、崇高な精神状態を保つという目的においては
仏教徒にとってこれ以上はない「修行の場」であるといえる。
少林寺という名前をめぐって、様々な人間の思惑が交差する。
はたして平静でいられるかどうか。

中国は現在、激しい嵐の中にある。
急激な価値観の変化に、国そのものが揺らいでいる。

彼らにとっての最大の武器は、したたかさ、だと思う。
その方針に批判の声があがることも充分に想定できたはず。
しかし彼らは踏み切った。

武術を得たのも、そもそもは「生き延びるため」であった。
伝統は受け継がれてこそ、伝統たり得る。
吹きすさぶ嵐をものともせず凛として大地に立ち続けるには。
柳の木のごとく風を受け流すことも必要である。

それが彼らにとってのカンフー(功夫:本来は「努力する」
「工夫する」の意)なのであろう。

将来的に、ビジネスの分野でも大きく発展することができるとすれば。
歴史の中で埋もれていった先輩達を慰める、最大級の供養に
つながるのかもしれない。

文化を売る、という行為の難しさ。
イメージは絶えず変化する。

そしてイメージは、頭の中にあるだけでは、お金にならない。





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