僕と一緒に暮らさないか割り勘で
ビジネスマンの“下宿生活”!?
「ゲストハウス」の魅力とは?(R25.jpより)
ボーダレス・ジャパン、外国人と日本人のルームシェアに特化した賃貸サービス(nikkei BPnetより)
若者を中心に、日本人の居住スタイルが変わりつつあるようだ。
赤の他人との共同生活や、外国人とのルームシェア。
ひと昔前なら考えられなかった。海外では当たり前のことのように実施されて
きたが。それだけ現代日本人の「住まい」における感覚が欧米並みになってきた、
ということだろうか。
必ずしもそうではないと思う。
私は「下宿」を経験したことがない。
昔、長野県のスキー場で短期間のバイトをしたことがあり、その時の宿舎として
あてがわれたのが一般スキー客向けのごく普通の民宿だった。
そこでは朝・夕の食事に風呂や衣類の洗濯まで、身の回りの面倒をほぼ全面的に
見てもらう形だった。あれは今にして思えば、いわゆる下宿生活に近いといえる
のかもしれない。そこまで他人の世話になったことがなかったのだ。
母親以外の人にパンツまで洗ってもらうのは、最初は恐縮至極だったが、やがて
当然のことのように考え始める自分が不思議に感じたものだ。
たいていのスキー場は山奥の、陸の孤島といえるような立地にある。
何をするにも不便で、生活はしにくい。
誰かに衣食住全般をサポートしてもらわなければ途端に立ち行かなくなる。
そういう面で、民宿のご主人とおかみさんの存在は何よりも有り難かった。
と同時に、そんな生活を長く続けていると、抜け出せなくなる。
そういう思いもあった。
だから次の仕事の話が舞い込んで来た時に、そのスキー場の勤務契約を中途で
破棄してまで飛び出したのだ。この期を逃すと俺はダメになる、という危機感に
追い立てられるように、山を下りた。最良の決断だったと思う。
現代の若者、特に親と長らく同居する男の子たちは、おそらくは私の経験した
「下宿」に近い生活を送り、それに慣れ切ってしまっているのではないか。
俗に言うパラサイトは、長引けば長引く程、自活への道を狭めてしまう恐れが
ある。経済的な理由はともかく、許されるなら他者の庇護からできるだけ距離を
置くよう努力すべきだと私は思う。さもなくば、確実に堕落する。
話がズレてしまった。
最近の若者に協調性が芽生えたとか、他者を受け入れるようになったとかではなく
「他者がそばにいても気にしない」感覚が発達しているのだと思う。
形の上では共同生活であるものの、根本的には「個」である。
便宜的にひとつ屋根の下で暮らしているだけ。
それでも構わないのだが、せっかくの機会を無駄にしているような気もする。
人と人との巡り合わせは、コントロールできない。
事前に面談などを繰り返して相手を吟味することもできるが、人間の本質は
実際に暮らし始めてみないことにはわからない。いわば賭けのようなもので。
ならば、楽しむスタンスにシフトした方が良い。
外国人との共同生活ともなれば、様々な面で衝突や軋轢も生まれるかもしれない。
帰宅してまでストレスを抱えたくない、と考える人も多いことだろう。
だがその経験は間違いなく大きな価値を生む。
海外からの居住希望者がまず最初に突き当たる壁のひとつは、住宅であろう。
それを解消する術が少しでも増えれば、と思う。
分け合うのは、部屋だけではない。
気持ちも共に「分かち合う」ということ。
この喜びは何物にも代え難い。
ルームシェアする生活―チープな家賃で仲間と愉快に暮らす (サラ・ブックス)
akky

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ということだろうか。
必ずしもそうではないと思う。
私は「下宿」を経験したことがない。
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見てもらう形だった。あれは今にして思えば、いわゆる下宿生活に近いといえる
のかもしれない。そこまで他人の世話になったことがなかったのだ。
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当然のことのように考え始める自分が不思議に感じたものだ。
たいていのスキー場は山奥の、陸の孤島といえるような立地にある。
何をするにも不便で、生活はしにくい。
誰かに衣食住全般をサポートしてもらわなければ途端に立ち行かなくなる。
そういう面で、民宿のご主人とおかみさんの存在は何よりも有り難かった。
と同時に、そんな生活を長く続けていると、抜け出せなくなる。
そういう思いもあった。
だから次の仕事の話が舞い込んで来た時に、そのスキー場の勤務契約を中途で
破棄してまで飛び出したのだ。この期を逃すと俺はダメになる、という危機感に
追い立てられるように、山を下りた。最良の決断だったと思う。
現代の若者、特に親と長らく同居する男の子たちは、おそらくは私の経験した
「下宿」に近い生活を送り、それに慣れ切ってしまっているのではないか。
俗に言うパラサイトは、長引けば長引く程、自活への道を狭めてしまう恐れが
ある。経済的な理由はともかく、許されるなら他者の庇護からできるだけ距離を
置くよう努力すべきだと私は思う。さもなくば、確実に堕落する。
話がズレてしまった。
最近の若者に協調性が芽生えたとか、他者を受け入れるようになったとかではなく
「他者がそばにいても気にしない」感覚が発達しているのだと思う。
形の上では共同生活であるものの、根本的には「個」である。
便宜的にひとつ屋根の下で暮らしているだけ。
それでも構わないのだが、せっかくの機会を無駄にしているような気もする。
人と人との巡り合わせは、コントロールできない。
事前に面談などを繰り返して相手を吟味することもできるが、人間の本質は
実際に暮らし始めてみないことにはわからない。いわば賭けのようなもので。
ならば、楽しむスタンスにシフトした方が良い。
外国人との共同生活ともなれば、様々な面で衝突や軋轢も生まれるかもしれない。
帰宅してまでストレスを抱えたくない、と考える人も多いことだろう。
だがその経験は間違いなく大きな価値を生む。
海外からの居住希望者がまず最初に突き当たる壁のひとつは、住宅であろう。
それを解消する術が少しでも増えれば、と思う。
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