騒音インマイサイド

ノイズを聴く

【ART】奇妙で心地よい騒音を与えてくれるイヤホン
ザイーガより)

ノイズを聴くための道具であるらしい。

どうやら機能そのものよりもアート的な意味合いを込めた
グッズであるようだ。「製品」ではなく「作品」。
最近の現代アートものはこういう“体験型”が多い。

このグッズ自体に興味はないが、「ノイズを聴く」という
発想には共感を覚える。
現代人にとって、ノイズもまた生活音である。

たとえば冷蔵庫が発するコンプレッサー音。空調の回る音。
パソコンの冷却ファンの音。普段は意識せずとも、日常において
耳にしているノイズは多い。

やがて我々はノイズを耳にすることによって、無意識に「安心」を
手にしているのかもしれない。それが日常であれば。
まったくの無音状態では、人間は不安に陥る。圧迫感を感じる。
目隠しをされた時と同様の反応。耳からの情報が得られないためである。
普段の生活においてまったくの無音状態はあり得ない。
そこに空気が存在する限り。音は空気の振動により生まれる。

そして、普段耳にすることのない音が「不安」を感じさせる要素になる。
田舎暮らしの経験のない子供が、ある日祖父母の家に遊びに行く。
夜、外から響いてくる虫の音が気になって眠れない。恐い、と感じる。
彼にとっては自然の音が、非日常である。
虫の音を耳にしたことのない子供にとって、それはまぎれもない
未知の「ノイズ」であり、彼にとっての「不自然」ということになる。

耳はたえず音声をキャッチしているが、不要な情報には反応しない。
脳はフィルタリングを続けている。無意識に。
では何が不要で、何が重要であると脳は判断しているのか。
ひとえにそれまでの「経験」や「学習」による。

人によって、ノイズかそうでないかの判断は違っているわけだ。
自動車の排気音を心地良く感じる人もいる。歪んだギター音を
好む人もいる。
子供の声に安らぎを覚える人、苛立ちを覚える人。様々である。

聴覚は感情に直結する感覚だと思う。
視覚は目をそむけてしまえば影響を避けることはできるが、不快な音は
我慢できない。耳を塞いでも無駄である。音は耳以外からも伝わる。

現代は視覚から得る情報が圧倒的に多い。
人間は視覚情報をより活用することによって、進化を獲得してきた。
その分、他の感覚をないがしろにしてきたのかもしれない。
動物にとって聴覚は、視覚よりもはるかに大切なものだ。
自分の身を守るために、獲物を捕らえるために。
だが現代ではそんな必要もない。

現代人はもっと意識的に“耳を磨く”必要がある。
耳から得る情報に意識を集中する「習慣」を身につけるべきだ。
音の日常に流されてしまうと、大切なものを失うことになる。
音に鋭敏であることは、感情を豊かにすることにつながる。

自分なりのノイズを、手に入れる。
何が美しい音で、何がそうでないかを。
他の人と同じである必要はまったくない。

文化的生活(と呼ばれるもの)が、人間本来のありかたに
どんな影響を与えるか。
もちろんそれが、人類にとっての新たな可能性を切り拓く結果に
つながるかもしれないが。

それを進化と呼ぶのは、現時点ではあまりにも早計である。




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