おすましもしもし
もしもし(BARATIEより)
フランスのちょっとマニアなマンガ屋さんに行ったときに携帯電話着信で「もしもし」って言ったら周りからどよめきが起こったことがある。<中略> 同行のフランス人も「本当にモシモシって言うんだー初めて聞いた。もっと言って」って言われた。
いいから、そこで話せ的な空気で、みんなが聞き耳立ててる横で会話。<中略>そして、最後に、「じゃーねー」って言った時に軽く拍手とウィンクなどをいただいた。
フランスは海外でもとりわけ日本文化への関心が高い。
言うまでもなくアニメの影響だが、やはり実際の日本語による「会話」を
耳にする機会はさほど多くないことだろう。
我々が英語圏の人々の話す英語を直に聞いて、あーほんとにこういう風に
使っているんだ、と納得してしまうような。もっとも最近は日常において
ガイジンさんに接することも珍しくはなくなったが。
風景や風土などの二次的な“情報”なら映像等でいくらでも得ることができるが、
そこから実際の「タイム感」を受け取るのは難しい。現地の人々が使う会話は、
それを凝縮している。
二次元の世界から、三次元へ。
憧れを持って見つめる人々なら、思わず拍手もしたくなるかもしれない。
そして仲間内で得意げに自慢することだろう。
俺さ、昨日例の行きつけのショップでホンモノのニホンジン見たんだよ。
ちゃんと携帯で「モシモシ」って言ってたぜ。
いいよなーモシモシって。響きがさ。
俺もこれから電話に出る時はアローじゃなくてモシモシって言うからよろしく。
って何をよろしくするのかわからないが、そんな具合に無邪気に盛り上がって
しまうことだろう。
微笑ましいと共に、嬉しくも感じる。
我々が普段当たり前のように接している「文化」に、これほど熱烈に興味と
関心を寄せてくれていることに対して。
海外の人々が日本語を耳にした時に「サ行」の音が強く感じる、という話は
以前テレビでタモリが言っていた。
発音形態としては独特なのかもしれない。擦過音とか。
母音過多の言語は慣れないと発音しづらい。
日本語によるラップなどは猛烈に早口に聞こえるらしい。
音を母音でひとつひとつ「区切る」のがとてつもなく難しいのだろう。
ちなみに「もしもし」の語源は「申し」を連ねて短縮したものとか
(語源由来辞典より)。
「申し上げます」と相手に伝えたことがその始まり。
したがって電話を受ける際に「もしもし」を使うことは厳密には誤りである。
考えてみたら、可愛らしい響きだ。
老若男女、電話をかける時には「もしもし」と発音する。
それを不思議だとかヘンだとかは感じない。
半ば反射的にそう口にする。
そういう面も、ガイジンさんの興味を引く要素なのかもしれない。
ポール・マッカートニーは日本向けのインタビューなどに際して、自分の
知っている日本語のひとつとして必ずといっていいほど「オス!(押忍)』を
挙げる。よほど気に入っていると思われる。
かなり以前から使っているので、ひょっとしたら1966年のビートルズ来日の
際に覚えたのかもしれない。
もっとも「押忍」の挨拶自体は極真空手等において海外の選手達も日常的に
使っているので、何らかの形で耳にする機会はあったことだろう。
ポールに極真の心得があるかどうかは知らない。
日本を誇らしく感じることはそう多くないが。
ひょんなところから我々は、その文化の特異さ、そして素晴らしさに
気づかされることもある。
まずはフランスに行って携帯電話を使おう。
フランスのちょっとマニアなマンガ屋さんに行ったときに携帯電話着信で「もしもし」って言ったら周りからどよめきが起こったことがある。<中略> 同行のフランス人も「本当にモシモシって言うんだー初めて聞いた。もっと言って」って言われた。
いいから、そこで話せ的な空気で、みんなが聞き耳立ててる横で会話。<中略>そして、最後に、「じゃーねー」って言った時に軽く拍手とウィンクなどをいただいた。
フランスは海外でもとりわけ日本文化への関心が高い。
言うまでもなくアニメの影響だが、やはり実際の日本語による「会話」を
耳にする機会はさほど多くないことだろう。
我々が英語圏の人々の話す英語を直に聞いて、あーほんとにこういう風に
使っているんだ、と納得してしまうような。もっとも最近は日常において
ガイジンさんに接することも珍しくはなくなったが。
風景や風土などの二次的な“情報”なら映像等でいくらでも得ることができるが、
そこから実際の「タイム感」を受け取るのは難しい。現地の人々が使う会話は、
それを凝縮している。
二次元の世界から、三次元へ。
憧れを持って見つめる人々なら、思わず拍手もしたくなるかもしれない。
そして仲間内で得意げに自慢することだろう。
俺さ、昨日例の行きつけのショップでホンモノのニホンジン見たんだよ。
ちゃんと携帯で「モシモシ」って言ってたぜ。
いいよなーモシモシって。響きがさ。
俺もこれから電話に出る時はアローじゃなくてモシモシって言うからよろしく。
って何をよろしくするのかわからないが、そんな具合に無邪気に盛り上がって
しまうことだろう。
微笑ましいと共に、嬉しくも感じる。
我々が普段当たり前のように接している「文化」に、これほど熱烈に興味と
関心を寄せてくれていることに対して。
海外の人々が日本語を耳にした時に「サ行」の音が強く感じる、という話は
以前テレビでタモリが言っていた。
発音形態としては独特なのかもしれない。擦過音とか。
母音過多の言語は慣れないと発音しづらい。
日本語によるラップなどは猛烈に早口に聞こえるらしい。
音を母音でひとつひとつ「区切る」のがとてつもなく難しいのだろう。
ちなみに「もしもし」の語源は「申し」を連ねて短縮したものとか
(語源由来辞典より)。
「申し上げます」と相手に伝えたことがその始まり。
したがって電話を受ける際に「もしもし」を使うことは厳密には誤りである。
考えてみたら、可愛らしい響きだ。
老若男女、電話をかける時には「もしもし」と発音する。
それを不思議だとかヘンだとかは感じない。
半ば反射的にそう口にする。
そういう面も、ガイジンさんの興味を引く要素なのかもしれない。
ポール・マッカートニーは日本向けのインタビューなどに際して、自分の
知っている日本語のひとつとして必ずといっていいほど「オス!(押忍)』を
挙げる。よほど気に入っていると思われる。
かなり以前から使っているので、ひょっとしたら1966年のビートルズ来日の
際に覚えたのかもしれない。
もっとも「押忍」の挨拶自体は極真空手等において海外の選手達も日常的に
使っているので、何らかの形で耳にする機会はあったことだろう。
ポールに極真の心得があるかどうかは知らない。
日本を誇らしく感じることはそう多くないが。
ひょんなところから我々は、その文化の特異さ、そして素晴らしさに
気づかされることもある。
まずはフランスに行って携帯電話を使おう。











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