思い出話をしようか
高校2年の頃。もう四半世紀ほど昔のこと。
最悪の成績にもかかわらず何らかの手違いで進級できた私。すでに高校生活そのものをあきらめていた。
いかにしてこの時をやり過ごすか。それだけを考えていた。
マツナガ君(仮名)は、1年の時と同様に、私の前の席にいた。
授業中以外はほとんど後ろを、つまり私の方を向いている。
クラス替え後も彼と一緒だったのは、あまり社交的とはいえない私にとって
有り難かった。彼は私と違って頭も良く、何かと心強い。
共にビートルズが好きで、思いつきでコピーバンドを始めたばかりだった。
彼がギターで、私がドラムス(後にベースに転向)。
どちらも初心者だったが、十代特有の根拠のない自信だけはたっぷりあった。
つまり彼は私が「時をやり過ごす」上で重要な存在だった。
後ろを向いて私に話しかけるマツナガ君の顔をぼんやりと眺めつつ。
視界の隅に映る人影が、気になった。
教室のほぼ中央の列、前から2番目の席。
静かに座って前方を見つめ、身じろぎもしない。
誰にも話しかけないし、誰からも話しかけられない。
何だか不思議な存在感。
私はいちばん窓側の列、後ろから2番目の席。室内ほぼ全体を見渡せる位置。
しばらくは彼の後頭部を眺めることで、授業時間をやり過ごした。
そんな彼との交流は、主に共通の友人を介して始まった。
ウエダ君(仮名)は前述のマツナガ君と同様、ビートルズのコピーバンドで
私と共に騒音を垂れ流す同志だった。坊主頭と笑顔がキュートなギタリスト。
ウエダ君と謎の「彼」は旧知の仲、同じ中学の出身で自宅もごく近所だった。
ウエダ君とのつきあいが深まることで、「彼」とも必然的に近づいた。
近づいてみると、「彼」の独特の個性に驚かされた。
音楽にも造詣が深く、デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックといった
いわゆる耽美系は、彼から教えてもらったようなものだ。
当時の私といえばビートルズの他にはMTVで流れる80年代ポップスを聴きかじる
程度のものだった。デヴィッド・ボウイは『レッツ・ダンス』と『戦場のメリー
クリスマス』の人、という程度の認識。
彼からは、様々な面で影響を受けた。
やがてマツナガ君が「そろそろ受験勉強を始めたい」という理由のもと、バンドを
脱退。それに続いてウエダ君も「なんとなく」抜けることになり、残された私と
私が無理矢理引っ張って来た新加入のドラマーは途方に暮れ、いちから新メンバー
を募る気力もなく、ビートルズコピーバンドはあえなく自然消滅するに至った。
ライヴは一度だけ。しかも観客は友達を集めただけの単なるパーティに近い形式
だった。
その後は友達のバンドに助っ人として加入する程度で、自らリーダーシップをとる
ことはなかった。レッド・ツェッペリンからTHE ALFEEまで、何でも演奏した。
それと同時に、細々と自宅録音を始めることになる。
様々な楽器に手を出した結果、機材だけは一通り揃っていた。
他人を介するより、自分だけの力で好きな音楽を存分につくってみたかった。
「彼」とのつきあいは、高校在籍時よりも卒業後の方がより緊密になったと
いえるかもしれない。視野が広がり、行動範囲も飛躍的に拡張していく。
私は専門学校に進み、一年遅れて彼が同じ学校に入学してきた。
ただし2年次の私はすでに授業をサボりがちになっていたので、校内で顔を
合わせることはほとんどなく、彼の借りていた下宿部屋に入り浸っていた。
この頃もまた、時をやり過ごすことしかできなかったわけだ。
自分のやりたいことが何なのか、わからない。
彼も同じような心境だったのではないかと思う。
ただこの当時はまだ、状況を楽しんでいたようなフシもある。
迷走そのものを。
今もそうなのかもしれない。
以降、職場や住む場所など、環境はそれぞれに様々な変遷を重ねたが、なぜか
交遊が途切れることはなかった。
私などは時にぷっつりと音信不通になることもあったが、彼に見つかってしまったり。
つかず、離れず。
それが25年続いている。現在に至るまで。
そんな存在は、他にいない。
このサイトでは大賀玄米と名乗っている「彼」。
心から感謝している。
お誕生日おめでとう。
デヴィッド・ボウイ詩集―スピード・オヴ・ライフ
古川 貴之

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最悪の成績にもかかわらず何らかの手違いで進級できた私。すでに高校生活そのものをあきらめていた。
いかにしてこの時をやり過ごすか。それだけを考えていた。
マツナガ君(仮名)は、1年の時と同様に、私の前の席にいた。
授業中以外はほとんど後ろを、つまり私の方を向いている。
クラス替え後も彼と一緒だったのは、あまり社交的とはいえない私にとって
有り難かった。彼は私と違って頭も良く、何かと心強い。
共にビートルズが好きで、思いつきでコピーバンドを始めたばかりだった。
彼がギターで、私がドラムス(後にベースに転向)。
どちらも初心者だったが、十代特有の根拠のない自信だけはたっぷりあった。
つまり彼は私が「時をやり過ごす」上で重要な存在だった。
後ろを向いて私に話しかけるマツナガ君の顔をぼんやりと眺めつつ。
視界の隅に映る人影が、気になった。
教室のほぼ中央の列、前から2番目の席。
静かに座って前方を見つめ、身じろぎもしない。
誰にも話しかけないし、誰からも話しかけられない。
何だか不思議な存在感。
私はいちばん窓側の列、後ろから2番目の席。室内ほぼ全体を見渡せる位置。
しばらくは彼の後頭部を眺めることで、授業時間をやり過ごした。
そんな彼との交流は、主に共通の友人を介して始まった。
ウエダ君(仮名)は前述のマツナガ君と同様、ビートルズのコピーバンドで
私と共に騒音を垂れ流す同志だった。坊主頭と笑顔がキュートなギタリスト。
ウエダ君と謎の「彼」は旧知の仲、同じ中学の出身で自宅もごく近所だった。
ウエダ君とのつきあいが深まることで、「彼」とも必然的に近づいた。
近づいてみると、「彼」の独特の個性に驚かされた。
音楽にも造詣が深く、デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックといった
いわゆる耽美系は、彼から教えてもらったようなものだ。
当時の私といえばビートルズの他にはMTVで流れる80年代ポップスを聴きかじる
程度のものだった。デヴィッド・ボウイは『レッツ・ダンス』と『戦場のメリー
クリスマス』の人、という程度の認識。
彼からは、様々な面で影響を受けた。
やがてマツナガ君が「そろそろ受験勉強を始めたい」という理由のもと、バンドを
脱退。それに続いてウエダ君も「なんとなく」抜けることになり、残された私と
私が無理矢理引っ張って来た新加入のドラマーは途方に暮れ、いちから新メンバー
を募る気力もなく、ビートルズコピーバンドはあえなく自然消滅するに至った。
ライヴは一度だけ。しかも観客は友達を集めただけの単なるパーティに近い形式
だった。
その後は友達のバンドに助っ人として加入する程度で、自らリーダーシップをとる
ことはなかった。レッド・ツェッペリンからTHE ALFEEまで、何でも演奏した。
それと同時に、細々と自宅録音を始めることになる。
様々な楽器に手を出した結果、機材だけは一通り揃っていた。
他人を介するより、自分だけの力で好きな音楽を存分につくってみたかった。
「彼」とのつきあいは、高校在籍時よりも卒業後の方がより緊密になったと
いえるかもしれない。視野が広がり、行動範囲も飛躍的に拡張していく。
私は専門学校に進み、一年遅れて彼が同じ学校に入学してきた。
ただし2年次の私はすでに授業をサボりがちになっていたので、校内で顔を
合わせることはほとんどなく、彼の借りていた下宿部屋に入り浸っていた。
この頃もまた、時をやり過ごすことしかできなかったわけだ。
自分のやりたいことが何なのか、わからない。
彼も同じような心境だったのではないかと思う。
ただこの当時はまだ、状況を楽しんでいたようなフシもある。
迷走そのものを。
今もそうなのかもしれない。
以降、職場や住む場所など、環境はそれぞれに様々な変遷を重ねたが、なぜか
交遊が途切れることはなかった。
私などは時にぷっつりと音信不通になることもあったが、彼に見つかってしまったり。
つかず、離れず。
それが25年続いている。現在に至るまで。
そんな存在は、他にいない。
このサイトでは大賀玄米と名乗っている「彼」。
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お誕生日おめでとうございます。
お二人の不思議な縁に感謝します。
これからもどうぞ変わりなく。
彩家、ぽっぽちゃんさん、ありがとうございます。
どうにか生きて誕生日を迎えることができました。
おかげさまでこーんなに大っきくなっちゃってます。
ほら、ほら、ほーら。もっとこっちにおいでって。
朝夕は随分と涼しく感じられるようになってまいりましたが
まだまだ夏の暑さは続きます。
お体にはくれぐれも気をつけてご自慰愛なさりますよう。