色即是空を英語で言うと

禅

お坊さんが英語で禅を説く 観光客殺到で副住職はうれしい悲鳴?日刊サイゾーより)

海外の人々は、日本の何に関心を寄せるのか。
それを知ることは、日本のアイデンティティを確認するための手がかりとなる。

海外では、圧倒的に「」の認知度が高い。
Zenという英語も定着している。
日本でのポピュラリティや日本独自という点に基づけば神道の方がはるかに
強いはずだが、どうしてここまで「禅」が海外の人々を惹き付けるのか。

自分自身の内面ととことん向き合うことによって仏証を得る、という教義が
シンプルでわかりやすいためではないか、と私は思う。
座禅は、一人でも組める。
答えは、自分自身が決める。
その責任を取るのも自分自身だ。
外部からの絶対的な力(:神)に振り回されることもない。

ずっと座っていることによって答えを得ることができるのであれば、
これほど「合理的」なものはない。
「禅」はおそらく、もっとも欧米人の心をとらえやすい哲学ではないかと思う。

ただ、自分で答えを得るには、自分自身の中にそれだけの「素養」を
身につけておかねばならない。
答えを導き出すための材料が整っていなければ、たとえそれが目の前にあった
としても永遠に見つけることができない。
天から答えが降ってくるわけではないし、誰かから「啓示」があるわけでもない。

また禅には、文字や言葉で教えることを避ける傾向がある。
他人から与えられた答えは自分のものにはならない、ということだと思う。
いわゆる禅問答というものがあるが、あれには本質的な答えがない。
どれもが正解となり得るし、どれもが不正解ともいえる。
絶対的なものは、何もない。
それは欧米人には衝撃的・革命的な考え方として映るのではなかろうか。
言葉に頼らないという姿勢も異邦人においては有利にはたらく。

とはいえ、まったく言葉を使わずに悟りに達するわけもなかろう。
そこで住職が英語を話せるというのは強力な武器となる。
もっとも深い面での「国際交流」が展開されることだろう。
彼らの責任は重大だ。ある意味、日本を代表する外交官の役割を成す。
せいぜいしっかりやっていただきたい。

僧侶は、サービス業である。
観光客が求めるのは「体験」。
根本的に自らの価値観を変えたいと願って訪れるわけではない。
Buddhismの入り口をちょっと覗いてみたい、ただそれだけである。

坊さんは、コンパニオンなのだ。


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