のだめアンターダレ

音楽室

クラッシックのトラウマ克服アルバム「だいきらいだった音楽室」
ITmedia Newsより)

いいコンセプトだ。
クラシック入門、などという“上から”目線ではないところがいい。

クラシック音楽の定義は何だろう。
Wikipediaでは

暗黙の前提として西洋の伝統的な宗教音楽や宮廷音楽の系譜に連なる芸術音楽を指す

とある。
カタい。
いかにも勉学としての音楽。
歴史的背景を知らないことには、クラシックは楽しめないと思う。
中学生やそこらで、そんな壮大なイメージが受け止められるかどうか。

 「音楽の授業なんてダルいと思ってるガキだった。いま、俺はなぜか、
  通勤電車で『運命』を聴いている」(同アルバムキャッチコピーより)


音楽には、それを受け止めるだけの度量が必要だと私は思う。
ジャズを聴いてもピンとこない。民族音楽を聴いても退屈。
インストゥルメンタル(:器楽曲)自体がダメ、という人も多い。
だがある時、何かの拍子にするりと身体に入ってくる瞬間がある。
それまではまだ「準備ができていなかった」のだ。
受け入れ側にある程度の“レベル”を求める音楽は、厳然として存在する。
コーヒーや酒の味がわかるようになるのと似ているかもしれない。

このアルバムの発売元レーベル「ナクソス」の仕掛人の言葉が、
公式ブログに掲載されている。
ナクソス公式ブログ第2番 「それはちょっとセバスチャン」より

  図書館の奥から引っ張り出した黴臭い「ベエトオヴェン伝」を眺めて
  三日三晩ニヤニヤしていられる偏狭オタの私でさえ、小・中学校の
  音楽の授業には、あまり良い思い出がありません。学校の音楽鑑賞なんて
  退屈なだけで、厚化粧でヒステリックな音楽の先生も好きになれません
  でした


私自身は、確かに演奏の発表などは大の苦手だったが、音楽の授業そのものは
嫌いではなかった。
いつもの教室を離れる、ということが。
通常の授業からの反発の意味合いにおいて、音楽室は貴重な空間だった。
まあネガティヴな理由ではある。
音楽担当の先生は、私に目をかけてくれていた。
それがなかったら、その後音楽に親しむことはなかったかもしれない。

  そもそもクラオタの道はマジメであれば通用するような生やさしいもん
  じゃなく、<中略>とんでもなくアウトローな開拓精神が要求される
  ものなのです


私が本格的に音楽にのめり込むようになったのは中学の頃。
ビートルズやYMOを聴き漁っていた。彼らに関することは何でも知りたい。
自分の頭の中の「音楽」と音楽室での「音楽」は別物だと考えていた。
いや違う、地続きだと気づいたのは、かなり後になってからだと思う。

根本は同じなのだ。
入り口が違うだけで。
ひとたび入ってしまえば、中に広大な宇宙が広がる。
そしてどれもが密接に関係している。

ただし私はクラシック音楽を「ポピュラーミュージックの解釈で」
しか聴けない。
英語を日本語に置き換えて意味を理解するかのように。
それでいいと思う。
それが私なりの、クラシックの接し方・楽しみ方。
きっとこれからも変わることはない。

門外漢でいいじゃないか。
宇宙は広い。
生命の数だけ、音楽は存在する。


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