ご本人さん登場のコーナーです

チャップリン

実は「チャップリンものまねコンテスト」に本人が出場していた→しかもあっさり敗退らばQより)

ものまねの面白さは、いかに本家をコピーするかよりも、いかに本家の本質に
迫る特徴を捉え、それを表現してみせるかにあると思う。
コピーしただけでは、感嘆こそされるものの笑ってはもらえない。
ものまねという言葉にありながらも、そこには厳然たるクリエイティヴィティが
求められる。

海外ではコピーの「精度」に価値を見いだすが、我が国では独自の進化を遂げて
コピーからさらに一歩進んだ“インスパイアド・オリジナル”を提示することが
必須となっているように見受けられる。
日本文化は昔も今も、こうして育まれてきた。

チャップリンは、チャップリンを客観視することはできない。
チャップリン本人である限り。
自分の出演したフィルムを見ることはできるが、チャップリンとして見る。
他人の目で見ることは永遠にできない。

だがチャップリン自身も、過去に誰かのコピーをした経験があると思うのだ。
そうして、オリジナルを手に入れた。
そこに至るまでには想像もできない程の苦労があったことだろう。
いったんオリジナルに昇格してしまうと、あとはコピーされる一方。
オリジナルという名の「イメージ」に振り回されることになる。

自身のものまねコンテストにふらりと参加したのは、コピーする側の持つ
クリエイティヴィティに触れてみたかったのかもしれない。
きっと参加者の中では最も「チャップリンらしくない」チャップリンだった
ことだろう。

過去にビッグヒットを築いてしまったがために、後年は自分自身の作風を
延々とコピーし続ける自称アーティストはたくさんいる。
それしかできない、というと職人的にも聞こえるが、結局のところは
他者の期待を裏切ることを恐れているだけだと思う。

チャップリンもやろうと思えば、いつまででもいくらでも山高帽にステッキ
姿の貧乏紳士が転げ回って奮闘する作品を量産できたはず。
だが、そうしなかった。
独裁者』は彼なりのコピーの美学。
そしてコピーが、オリジナルを超える。

私はチャップリンと同じ誕生日で、それを小学生の頃から誇りに思っている。
ちなみにこの日(04月16日)に生まれた人は他に坂上二郎、故・岡八朗
なぎら健壱ピエール・リトバルスキーBONNIE PINK、チュートリアルの
徳井義実などがいる。
なぜかお笑い・コメディアン系の人が多い。

私も似たようなものか。

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