決して踏み間違わないとはいえない
ニュースなどで頻繁に耳にする、事故の原因。「アクセルとブレーキの踏み間違い」。
これだけ何度も採り上げられているのに、いっこうに減る気配がない。
本来ならば重大な社会問題であるはずの事例が、ああまたか、で毎回
片付けられている。
アクセルとブレーキの踏み間違い事故のメーカーの対策(Yahoo!知恵袋より)
ここでのやり取りを眺めてみると、おおむね「メーカーに責任はない」という
意見が大半であるようだ。だが、本当にそうだろうか。
高齢者やうっかりさんばかりが責められるべきものなのだろうか。
私が運転免許を取得してから、最初に乗ったのは親父が所有していた
いすゞジェミニだった。テレビCMで“街の遊撃手”というフレーズとともに
その名を上げた当時の人気車種である。
大きさも手頃で大変運転しやすく、初心者にとっては理想のクルマだったと思う。
教習所ではマニュアル車(当時はまだAT限定免許などという制度はなかった)
を運転していたが、正直私はマニュアル操作が苦手だった。
クラッチの加減がわからず、教習中によくエンストを起こしていたものだ。
現在でもMT車を運転するのは億劫な気分になる。できれば避けたい。
親父のジェミニは、オートマだった。
ブレーキペダルが大きくて踏みやすい。
厄介なクラッチ操作もしなくてすむ。
日常的にジェミニに乗っているうちに、私は両足を使ってペダル操作をする
ようになっていた。いわゆる左足ブレーキというやつである。
実に自然に、そうなっていった。誰から教わったわけではない。
同乗した友人から指摘されてはじめて気づいたほどだ。
クルマの構造に合わせるかたち。
ペダルの配置が、そうしやすいようになっていたのである。
クルマが運転者にそう「仕向けた」といってもいい。
踏み替える必要がないので、動作も効率的だ。
そう、踏み替えるから、踏み間違える。
ATの左足ブレーキは危険なのですか?(教えて!gooより)
やがて私も独り立ちし、経済的に余裕ができたので車を購入することにした。
選んだのはミニ。
中高生の頃から最初に所有するのはミニだと心に決めていた。
それがようやく実現したわけである。
ミニは、基本的にマニュアルが中心の車種である。
オートマはある意味邪道といってもいい。
だが私は邪道を選んだ。
リアエンドには誇らしげにAUTOMATICと刻まれたエンブレムが輝いていた。
ペダルの配置は、クラッチを取り除いたそのままの状態。
左足を置くべき場所にはフットレストがある。
つまり現代の大半のクルマと同様の構造。
アクセルとブレーキの間の距離が狭いので、両足操作はできない。
マニュアルが当たり前の車種で、オートマの操作性など考慮するはずがない。
まるでマニュアルをオートマに「改造」したようなたたずまいだった。
必然的に右足のみでペダル操作をする運転スタイルへの変更を余儀なくされた。
最初はまごついたが、それもやがて慣れた。
以後、車種は変われどもスタイルは右足オンリーで定着した。
でも、機会があれば今でも両足で操作したいと願う。
それがいちばんラク(:身体への負担が少ない)だと思うからだ。
しかしいまだその機会は訪れない。
そういうクルマにめぐりあっていないから。
車の操作性は大昔からほとんど変わっていない。
もちろん安全性に関わることもあり、むやみに変更することはできないだろう。
ただ、その根拠が伝統という名の「惰性」であってはならないと思う。
長年に渡って採用され、世の中のすみずみまで定着しているということが
その製品の円熟であり「完成形」を示しているとは決して言えまい。
マウスやキーボードが入力装置としてベストではないことと同様に。
コストの問題や消費者におけるマニュアル車への根強いニーズなど、メーカー
には様々な障壁が存在するとは思うが。
今一度人間そのものに立ち戻って、根本から見直してみてもよいのではないか。
もっと大胆に。もっと合理的に。
ユーザの意識を変えるほどの製品ならば、消費者はおのずとついてくる。
Appleがいい例だと思う。
車の運転が特殊技術である時代はとうに終わっているはず。
そろそろ進化しようじゃないか。
ドライビング・メカニズム―運転の「上手」「ヘタ」を科学する
黒沢 元治


これだけ何度も採り上げられているのに、いっこうに減る気配がない。
本来ならば重大な社会問題であるはずの事例が、ああまたか、で毎回
片付けられている。
アクセルとブレーキの踏み間違い事故のメーカーの対策(Yahoo!知恵袋より)
ここでのやり取りを眺めてみると、おおむね「メーカーに責任はない」という
意見が大半であるようだ。だが、本当にそうだろうか。
高齢者やうっかりさんばかりが責められるべきものなのだろうか。
私が運転免許を取得してから、最初に乗ったのは親父が所有していた
いすゞジェミニだった。テレビCMで“街の遊撃手”というフレーズとともに
その名を上げた当時の人気車種である。
大きさも手頃で大変運転しやすく、初心者にとっては理想のクルマだったと思う。
教習所ではマニュアル車(当時はまだAT限定免許などという制度はなかった)
を運転していたが、正直私はマニュアル操作が苦手だった。
クラッチの加減がわからず、教習中によくエンストを起こしていたものだ。
現在でもMT車を運転するのは億劫な気分になる。できれば避けたい。
親父のジェミニは、オートマだった。
ブレーキペダルが大きくて踏みやすい。
厄介なクラッチ操作もしなくてすむ。
日常的にジェミニに乗っているうちに、私は両足を使ってペダル操作をする
ようになっていた。いわゆる左足ブレーキというやつである。
実に自然に、そうなっていった。誰から教わったわけではない。
同乗した友人から指摘されてはじめて気づいたほどだ。
クルマの構造に合わせるかたち。
ペダルの配置が、そうしやすいようになっていたのである。
クルマが運転者にそう「仕向けた」といってもいい。
踏み替える必要がないので、動作も効率的だ。
そう、踏み替えるから、踏み間違える。
ATの左足ブレーキは危険なのですか?(教えて!gooより)
やがて私も独り立ちし、経済的に余裕ができたので車を購入することにした。
選んだのはミニ。
中高生の頃から最初に所有するのはミニだと心に決めていた。
それがようやく実現したわけである。
ミニは、基本的にマニュアルが中心の車種である。
オートマはある意味邪道といってもいい。
だが私は邪道を選んだ。
リアエンドには誇らしげにAUTOMATICと刻まれたエンブレムが輝いていた。
ペダルの配置は、クラッチを取り除いたそのままの状態。
左足を置くべき場所にはフットレストがある。
つまり現代の大半のクルマと同様の構造。
アクセルとブレーキの間の距離が狭いので、両足操作はできない。
マニュアルが当たり前の車種で、オートマの操作性など考慮するはずがない。
まるでマニュアルをオートマに「改造」したようなたたずまいだった。
必然的に右足のみでペダル操作をする運転スタイルへの変更を余儀なくされた。
最初はまごついたが、それもやがて慣れた。
以後、車種は変われどもスタイルは右足オンリーで定着した。
でも、機会があれば今でも両足で操作したいと願う。
それがいちばんラク(:身体への負担が少ない)だと思うからだ。
しかしいまだその機会は訪れない。
そういうクルマにめぐりあっていないから。
車の操作性は大昔からほとんど変わっていない。
もちろん安全性に関わることもあり、むやみに変更することはできないだろう。
ただ、その根拠が伝統という名の「惰性」であってはならないと思う。
長年に渡って採用され、世の中のすみずみまで定着しているということが
その製品の円熟であり「完成形」を示しているとは決して言えまい。
マウスやキーボードが入力装置としてベストではないことと同様に。
コストの問題や消費者におけるマニュアル車への根強いニーズなど、メーカー
には様々な障壁が存在するとは思うが。
今一度人間そのものに立ち戻って、根本から見直してみてもよいのではないか。
もっと大胆に。もっと合理的に。
ユーザの意識を変えるほどの製品ならば、消費者はおのずとついてくる。
Appleがいい例だと思う。
車の運転が特殊技術である時代はとうに終わっているはず。
そろそろ進化しようじゃないか。
ドライビング・メカニズム―運転の「上手」「ヘタ」を科学する
黒沢 元治







確かに両足操作はやりにくい構造ですが。
オートマがメインになってきているのだから
もちょっと使い勝手のいいカタチの車ができても
よさそうなものですけどねえ。
足を横方向に動かすのも人体の動きにおいては不自然だと思う。
老人でなくとも難しい。
踏み間違えるユーザが存在する以上、踏み間違えないような構造の車を提供する義務が
メーカーにはある。