ブーブーじゃないのよ、あれはね

車の騒音

プリウス に騒音は必要?…車の静かさ防止法案Response.より)

幼児語では、車のことを「ブーブー」と表現する。
当然、車の発する音に由来するものだと想像がつく。
では世の中のすべての車がブーブー言わなくなったら、子供達は車を
どう表現すべきか。
プップーだろうか。しかしクラクションの音をきちんと聞いたことのない親も、
また運転していて実際に鳴らしたことがないという親も、少なからずいるはず。

子供達が実際に車を見て、その音を聞いて「ブーブー」と表現するわけではない。
親が「(あれは)ブーブーだよ」と教えることによって車=ブーブーと認識する
わけだ。
つまりは、親が「車はブーブーという音を出しながら走るもの」と捉えている。
厳密にはそこまで意識して使っているわけではない。
親から子へ、無意識のうちに受け継がれてきた「車=ブーブー」。
それが今後、変化することは考えられるだろうか。

車が走る時には騒音を出す。
それは車の歴史が始まって以来、ずっとつきまとってきた課題。
燃料を燃焼(爆発)させて走行している限り、そこからは逃れられない。
が、最小限に抑えることはできる。
メーカーはその努力をしてきた。
それが車の向かうべき方向だと信じているから。

今、車は大きな進化を遂げようとしている。
その概念が大きく変わるくらいの。
それは、人々が本来「待ち望んでいた」進化であったはずだが。

従来からの状況が当たり前のものとして定着してしまうと、そこから脱するのは
容易ではない。

人々の意識を変える、ということ。
おそらくは技術そのものを開発するよりも、手間と時間がかかる。

普及するにあたっては、様々な風当たりがあるに違いない。
画期的なものというのは、最初はたいてい叩かれる。

街を走る「すべての」車が、ハイブリッド車並みの走行音になれば。
視覚障害者はきちんと認識できる。彼らの聴力を軽んじてはならない。
そして、その他の人々も。
安全確認における音の在り方を、見直すはずだ。

「当たり前」の基準を変える。
これがいかに難しいことか。
しかし、乗り越えることができなければ。
永遠に車はブーブーのままだし、それに問題意識を持つこともない。

現代人が騒音(ノイズ)を聞いて安心するのは、ノイズそのものを好んでいる
からではなく、そこに人間(:自然)の気配を感じるからではないか。
ただ、その中には本来なくてもいいものがたくさんある。

街から車の騒音が減れば、もっと聞こえてくるものがある。

それを未来の人々に、聞かせてあげたい。
それこそが本当の進化の姿。

進むべきなのは技術よりもまず、人間の意識だと思う。

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