声かけども届かず

あいさつ

学校帰りの女児に「お帰りなさい」と言っただけで不審者扱いされる時代日刊スレッドガイドより)

  北上市内(岩手県)で防犯ボランティアの男性が下校中の女児に
 「お帰りなさい」
  と声をかけた。すると女児は走って逃げ、親に報告。
  <中略>「子供の安全を守ろうと思ってやっているのに。皮肉だね」


以前に運営していたブログで、小学生から「こんにちは」と声をかけられる
機会が多い、という件について書いたことがある。
たとえ防犯が目的であるとはいえ、挨拶を交わすのは気分が良い。
自分が彼らから不審者と見なされているかどうかは、別にどうでもよい。
彼らが無事であれば。
健やかに育つことができれば。

ただ、挨拶が本来の「美徳」を離れて、単なる牽制や啓蒙のための手段と
化してしまうのは、さすがに悲しい。
挨拶は、相手を受け入れること。
相手の存在を認めること。
しかし上記の例は、最初から「断絶」が横たわっていることを露呈している。

世知辛い世の中になってしまった、の嘆くのは容易い。
そんな世の中をつくってしまったのも、我々である。
「世の中」に属している以上、我々も責任を免れることはできない。

お帰りなさい、と見ず知らずの子に声をかけるのは。
現代では、とても不自然な行為と取られてしまう。
自分のうちの子でもないのに。知り合いでもないのに。
子供の生活圏に「踏み込み」過ぎている、という認識。

地域で守ろうと思っても。
地域が信頼されていない。
地域社会など、子供にとっては存在していないも同然。
家族以外はすべて他人。
知らない人とは口ききません。あいさつ以外は。
そんな子供に誰がした。

異世代間のコミュニケーションが、ますます困難になりつつある。
子供を守るという前提。
誰から守る。
何から守る。
育てることと守ることは、相反するものなのか。

子供達の挨拶に、笑顔はない。

参考:成田空港・到着ゲートの「おかえりなさい」
アルファルファモザイクより)

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