亡国の広告

広告

人類と地球の危機を訴えかけてくる広告いろいろ 2月版
WEBマーケティングブログより)

海外の広告は、見る者の想像力を刺激させるものが多い。

考えさせる、ということ。
このデザインはどういう意味なのだろう、と謎解きを仕掛けてくる。
ただ流れ去るだけの「催眠的」広告だったら、むしろ不利だ。
人はじっくり見てくれない。

ただしこれは見ている人が、謎解きに付き合うだけの
精神的余裕がないためではないかと私は思う。
欧米には、広告を楽しむ文化がある。

こういう土壌が、作り手側のクリエイティビティを高めてくれる。
広告が、その国の文化を引っ張って行く存在。
重要性は今後ますます高まっていくと予想する。

ネットの分野では広告はまだまだ邪魔者扱いである。
バナーブラインドネスという言葉がある。
人はネットに親しむにつれ、ページ上にバナー広告が
存在するであろう位置を覚え、そこに注意を向けなくなる。
バナーらしきものが目の端に映ると、無意識に目をそむける。

それは自分にとって何の価値もないものである、という認識が
できあがってしまっているからだ。

これは全面的に、広告の方が悪い。
なぜならネット広告のほとんどが、実際にそうであるからだ。
見る者に何の情報ももたらさない。
むしろ目的の情報にたどり着くための障害にさえなっている。
これでは憎まれても仕方がない。

広告は、見ている人に何らかのプラスを与えねばならない。
見てよかった、と。
面白かった、でもいい。
たとえ商品購入に至らずとも。サービスの利用に至らずとも。
消費者が意識を向けてくれたことを尊重すべきだ。
決して後悔の念を与えてはならない。
それだけの技術が、ネット世界ではまだ確立していない。
もちろん技術だけの問題ではないのだが。

我が国の広告業界は、その手法が実に「あさましく」なりつつある
ように思う。
目を引くこと、意識を向けさせることに終始しており、視聴者
(:消費者)を満足させるだけのポリシーがない。
クライアント側に大きな問題があるのだろうと思うが、業界に
身を置いているわけではないので内情はわからない。
しかしこのまま見る者にいたずらに失望と落胆を与えるばかりでは、
間違いなく広告は廃れていく。

私はテレビCMを見るのが好きだし、新聞のチラシを眺めるのも
好きだ。電車内の中吊り広告を見るのも好きだし、街中の立て看板を
見てまわるのも好きだ。
しかしネット上の広告を眺めるのは好きではない。
ここだ。
ここが、同じ地平に立てば。
自らすすんでクリックしたくなるような広告が増えれば。
インターネット文化はさらに高い次元へ向かうことができると思う。

いや別に、ここのページの広告をクリックしてほしいなんて
言ってるわけじゃないのよ。うん。違う違う。違うって。



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